
【文・畑史進(編集長Twitter):https://twitter.com/hata_fuminobu】
ルーカスフィルムの代表だったキャスリーン・ケネディ氏が退任し、後任にデイブ・フィローニ氏、共同社長にリンウェン・ブレナン氏が就任するというニュースが出た。これに伴って、まるで化学反応のように「ディズニー買収以降のスター・ウォーズの是非論」が飛び交っている。
主な主張としては
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『エピソードⅦ』『エピソードⅧ』『エピソードⅨ』のシークエル・トリロジーは面白かった。いや面白くなかった。
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〇〇は良かったけど、あれはダメ。
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そもそもプリクエル・トリロジーがクソ。
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スター・ウォーズはとっくに死んでいる。
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ようやく横暴な女帝(キャスリーン・ケネディ)が消えた。
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やっぱりジョージ・ルーカスのスター・ウォーズだよな。
ざっとSNSを眺めただけでもこんな感じか、といったところ。こういった議論が沸き起こるだけで『スター・ウォーズ』がいかに愛されているか、注目されているかがよく分かる。 映画などのコンテンツの感想なんて人それぞれなので何を言おうが自由なのだけど、「『スター・ウォーズ』老害」のわしからしたら、議論なのかどうかわからんような一方的な価値観の押しつけのように見えてしまい、実に不毛だなぁと思うのですよ。
今回は少しそのあたりの話をしていこうかと思いますよ。 その前に、ここからはジョージ・ルーカスはジョージ、キャスリーン・ケネディ氏はキャスリーン、デイブ・フィローニはデイブ、リンウェン・ブレナン氏はリンウェンと敬称略で書くのであしからず。 あと、本来なら人相手なので「いらっしゃる」と書くべきだとわかっているけど、面倒なので「いる」とか全て軽い感じで書くので変な邪推をせんようにね。
世界一厄介?スター・ウォーズファンの種類
まずは前提知識として、スター・ウォーズのファンの分類から。 スター・ウォーズのファンには大きく分けて6つの層がある。
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『スター・ウォーズ』大好き これは特に説明はいらないだろう。好き嫌いはあれど出た作品を全て愛する人。だけど実際に話をしてみると、意外にもアニメシリーズを観ていなかったり、ドラマは抜けていたり、ゲームや小説は未履修だったりと、何かしら知らないということがあったりする。コアな人だとファンサイトの「Wookieepedia」を観ていたり、編集していたりする。昔だと「スター・ウォーズの鉄人」なんていうサイトもあったね。
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オリジナルトリロジー原理主義(『エピソードⅣ』『エピソードⅤ』『エピソードⅥ』) 更に分類すると、この派生に「ジョージ改変前オリジナルトリロジー劇場公開版主義」がいて、更に過激な「初作『スター・ウォーズ』至高主義」というのもいる。今回はまとめちゃう。
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ジョージ・ルーカス制作映画シリーズ肯定派 説明不要。『エピソードⅠ』から『エピソードⅥ』までのナンバリングシリーズが好きな人。少し変態がいるとしたら『エンドア/魔空の妖精』『イウォーク・アドベンチャー』とかトンデモ作品までこよなく愛する者が出るくらい。
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ジョージ・ルーカス監修作品認定派 筆者であるわしはこの立場で、これは少し特殊。ジョージ・ルーカスは『スター・ウォーズ』の世界の舵取りをするために、今後主要となる作品については口出しすることがあった。ゲーム作品なら『ジャンゴ・フェット』(PlayStation 2で出た海外タイトル『Bounty Hunter』)、『フォース・アンリーシュド』シリーズ。『帝国の影』も口出ししていたとかなんとか。あとはアニメシリーズ『クローン・ウォーズ』や『クローン大戦』といった、ジョージ・ルーカスが後進育成と並行してスター・ウォーズというフランチャイズを整えようとした監修作品群のみを認める人たち。
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ディズニー買収前主義 ディズニー買収前までに展開されたスピンオフ群含めて好きな人。最初の「『スター・ウォーズ』大好き派」と何が違うのかって言うと、ディズニー買収後も観たり読んだりしてはいるけど、圧倒的にディズニー買収前のほうが全てにおいて良かっただろという人たち。
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映画スター・ウォーズシリーズ大好き これは超ライトな人。うちの生放送を見ている人なら夜道雪さんのような、ナンバリングシリーズだけ観ているっていう人。興味が向けばスピンオフも見ようかな、良かったらグッズも買う!という良心。
まぁだいたいこんなものか? SNSで議論(にもなってないけど)というか、意見の押し付け合いが生じているのは、こうしたファンの立場や性質が大きく違うがゆえに、少しでも意見したら引用RTとかで「こいつはおかしい」とか「納得~」なんて書き込まれる事態になっている。
以前こうしたカオスな状況について、IGN JAPANというサイトで「「ファン目線」がもたらした「スター・ウォーズ」の終焉、「ファンへの理解」の正体」という題で書いたら、これまた海外で勝手に翻訳されて色々意見を頂戴した。まぁ概ね「よく言った」というものが多くて、「死ね」が1割くらいだったと記憶してる。
これを書いてから6年経ったが、今回のキャスリーン退任で「果たして誰が『スター・ウォーズ』を殺したのか?」という犯人探しが再燃したというところなのだろう。まぁそれだけディズニー買収以降のスター・ウォーズには言いたいことがある人が多いのだろう。ちなみに今回このコラムを書くにあたって、この過去のコラムを見て「死ね」や「もう一度論じてほしい」という声があったことで、重い腰を上げることにしたのが理由。
まぁ、あと数年、20年先かもしれないが、ファン層の新陳代謝が上手く行けば、かつて大批判を食らった『エピソードⅠ』『エピソードⅡ』『エピソードⅢ』のプリクエル・トリロジーみたいに、『エピソードⅦ』『エピソードⅧ』『エピソードⅨ』のシークエル・トリロジーが絶賛される未来もなくはないので、あまり強い言葉で批判するのは良くないんじゃないかなと思うのですよ。 ちなみにわしの立場は「シークエル・トリロジーは『エピソードⅧ』が一番面白かった。続きが気になるのにアタオカファンとその声のでかさに日和って、作家性を殺して擦り寄り『エピソードⅨ』を作ったことで面白くねぇよ」という意見です。
ディズニー買収の功績もあるかもね
さてさて、軽くディズニー買収前とディズニー買収後のスター・ウォーズについて説明するところから始めよう。 ジョージ・ルーカスはコンテンツの広がりにおいてスピンオフや二次創作を奨励していた。一時期YouTubeでスター・ウォーズの二次創作からパロディ動画を一斉に削除したが、これに対してジョージが「ファンの作ったものを消さないでくれ」と嘆願したことは非常に有名な話。 ルーカスフィルムというのは非常に大きな映画製作会社だが、実態は日本で言う「東方Project」を持つ上海アリス幻樂団や、「Fate/stay night」のTYPE-MOONみたいなインディーサークル由来の企業。その理由は、初作『スター・ウォーズ』(『エピソードⅣ/新たなる希望』)の制作で20世紀FOXに制作資金を出資してもらって、興行収入の代わりにグッズ収益をルーカスフィルムに帰属させるというマーチャンダイジングが大成功を収めたことで、『エピソードⅤ/帝国の逆襲』以降はジョージが身銭を切った自費制作というインディー映画の体裁を取っている。
なぜジョージは興行収入ではなく、マーチャンダイジングに自信があったのかというと、グッズ収益やテーマパーク運営で売上を出して映画制作を続けているディズニーという成功例を見てこれに倣ったという形だ。これがルーカスフィルムがインディペンデントな制作会社、同人映画スター・ウォーズの正体だ。ジョージ自身ブクブク太っているものの、質素な食事が多いというのは有名な話。 ちなみに、このマーチャンダイジングの目論見が外れた場合のプランも用意されていて、続く『エピソードⅤ』は今のような物語ではない、別の低予算SF映画のような物になっていたそう。これは当時発売された『スプリンター・オブ・ザ・マインズ・アイ』という小説で確認できる。日本では未翻訳じゃないかな。仄暗い洞窟でベイダーとルークがライトセーバーで戦うシーンが有るのだけど、これはドラマ『オビ=ワン・ケノービ』で似たような状況で映像化されているので、おそらくこの小説から着想していると思う。失敗して自主制作映画が作れるのかよというツッコミもあると思うので、推測の域を出ない仮説を話すと、ジョージは並行してILMを立ち上げていたので、仮に『エピソードⅣ』が失敗しても別映画の特殊効果制作で資金を集めて「低予算エピソードⅤ」を制作する目的はあったと思う。

話を戻して。そうしたグッズ制作の一環にスピンオフ出版、販売がある。小説、コミック、ビデオゲームを指している。意外にも小説やコミックに関しては『エピソードⅣ』をベースにしたものが映画が公開される1年前から展開されていた。 結果として初作『エピソードⅣ』が公開されてから大ヒットとなり、グッズ収益も良かったのでジョージの自腹で『エピソードⅤ』『エピソードⅥ』が制作されるわけだが、スピンオフについてはジョージはかなり慎重になって舵取りをしていた。基本的には作家の創造性に任せていたが、「ルークとレイアは恋仲にならない」「『エピソードⅣ』より前の話は作らない」という徹底したルール整備をしていた。これは説明不要だろうが、次の映画まで3年というブランクがあり、目まぐるしく人気映画が出てくる中で話題性を落とさないためにスピンオフの展開は重要。そこで変な設定を盛り込まれたらジョージの構想していた全9作に渡る「スター・ウォーズ・ヴィジョン」がぶっ壊れる。 ジョージの構想した正史ではないけど何か作品が出てくるというのがスピンオフ小説、コミックの実態だった。これがゲームハードの進化で、ゲームでもオリジナルのスピンオフドラマが展開され2012年まで色々作られることとなる。その数は非常に膨大で、全てを網羅するグランドマスターもいる一方、日本など翻訳されていない地域やコンテンツの膨大さから追いつけない人が当然出てくる。
そこで2012年のディズニー買収前では「ジョージ・ルーカス監修作品派」と「スピンオフ全部観てます」「映画シリーズだけです」という3つの派閥に分かれていた。説明はいらないと思うがスター・ウォーズは原作者がジョージ・ルーカスなので、『クローン・ウォーズ』のようなジョージ・ルーカスが監修している作品なら「原作者が監修している」というのは一つの安心ブランド。逆にスピンオフを全部見ていても「公認された同人小説を読んでいる」という程度で棲み分けができていた。事実として公認の小説やコミック、ゲームでは、アナキンやパルパティーンなんぞ鼻くそレベルにしてしまうような強大なジェダイ、シスがわんさか出てくる「ぼくのかんがえたさいきょーのすたーうぉーず」状態。小学生の頃わしなんかは何か違和感があったので調べたら、別に原作者が口出ししていないという事実を知って以来、ジョージ・ルーカスが監修した作品群だけを追うように努め、今もこの監修した原作者のDNAがある作品を評価している。事実、監修作品は割としっかりしているものが多い。
2012年のディズニー買収以降、これら買収前のスピンオフは「レジェンズ」。いわゆる非正史(ノンカノン)という扱いにして全てをなきものにリセットし、一方で2013年頃から出てくるスピンオフは正史(カノン)という強硬整備を断行した。これは原作者であるジョージが監修したものも含めているので大きな反発もあったし、わしもこれには反対の姿勢を取って現在も一貫してディズニースピンオフは「正史のようで正史でないなにか」という認識で、ジョージ監修スピンオフを「正史」と考えている。これは人それぞれなので押し付けする気は毛頭ない。
この強硬策は評価できる点とできない点がある。 まず評価できる点は、あまりにもスピンオフが乱造されたため、実際オタクの札束叩き合い状態、知識マウント合戦の状態で、スピンオフの流れもメッチャクチャだったというのが実情だった。なんでここまでスピンオフが乱造されるのかと言うと、スピンオフが制作されたらそれに伴ってグッズを制作・販売することができるので、マーチャンダイジング戦略が**要(かなめ)**だったルーカスフィルムにおいてスピンオフの展開は必要不可欠だった。 このオタクの札束叩き合い、マウント合戦を“一旦リセット”したのはある意味正しい判断だった。
スピンオフ設定のサルベージが良くない
一方で評価できない点は、先程も書いた「ジョージ監修作品」が『クローン・ウォーズ』を除いてほぼ全て消滅したことで「原作者を蔑ろにしすぎやろ」ということ。 そしてもう一つが現在のスター・ウォーズにおける問題なのだが「結局過去のスピンオフの設定や物語をサルベージして再利用している」ということなのだ。これはどういうことかとカイロ・レンで話をすると、彼はレイアとハン・ソロの息子だが、過去のスピンオフ小説ではアナキン・ソロとジェイセン・ソロ、ジェイナ・ソロという子供がいて、アナキンという名前の通り祖父のアナキン・スカイウォーカーを色々と想起させるようなキャラで、ジェイセン・ソロに至ってはダークサイドに堕ちる。これだけ書いても分かるようにカイロ・レンの設定の基礎が揃っていて、『エピソードⅦ』公開当時から知っている人には突っ込まれていた。なんならビジュアルに至ってはダース・レヴァンだっていう人もいたくらい。 今ではすっかりおなじみとなった尋問官たちも、立場は違えど小説版に出てきた「皇帝の手」というルークの奥さんとなるマラ・ジェイドっていうキャラクターが所属していた組織が元ネタなのは一目瞭然。マラ・ジェイドは消されてしまったので、ルークはある意味ディズニーに「奥さんを取り上げられた」可哀想な人なのよ。

アナキンソロ

マラ・ジェイド


ダース・レヴァン
このように一度整備したはずのスピンオフの事情だったにもかかわらず、サルベージして再利用するとなると、結局これからのスター・ウォーズを語る上で昔のスピンオフを引っ張り出さなきゃいけなくなるから、なんのこっちゃかわからなくなる。
結局こうなったのは、J・J・エイブラムスが中途半端に『エピソードⅦ』で「僕はファンです。ファンのことわかってるんです」なんてことを映画の中でやってしまったのが全ての元凶で、あれを「シリーズの復活だ!」と受け入れてしまった(騙されてしまった)ファンも加担していると思う。そもそも『エピソードⅦ』であんな終わり方されたら続き作る側のこと考えてないだろと思うし、そもそも3部作のビジョンも作らずに作るくらいなら最初からジョージの計画していた3部作を作っておけばよかったのよ。
極めつけは、あの『エピソードⅧ』でファンの声にビビりまくって、次に予定していた『エピソードⅧ』あっての『エピソードⅨ』を作っちゃうから、余計に『エピソードⅧ』がやり玉に挙げられることになる。『エピソードⅨ』の皇帝の復活なんて「ダークエンパイア」の設定持ってきているんだから、余計に「過去のスピンオフのサルベージ色」が強くなってる。

少し長くなるが、シークエル・トリロジーとその他のジョージ・ルーカスのスター・ウォーズについて関係性を説明すると。そもそも『スター・ウォーズ』はジョージが人生で経験した出来事を反映しつつ、面白かった・影響を受けた映画のエッセンスを盛り込んだ私小説映画という側面がある。アナキンやルークというのはジョージの投影キャラクターと見たら結構面白い発見が出てくるので、彼の伝記小説と合わせて読むと納得するはず。 一方、シークエル・トリロジーというのはJ・J・エイブラムスという他所から来た他人が土足で踏み込んで作った作品である。というのは言うまでもないが、彼は一介のファンとあまり変わらない。だからレイはハン・ソロやレイア、ルークの追っかけ、カイロ・レンはおじいちゃんの追っかけをすると考えたら納得行くはずだ。ジョージの私小説シリーズにファンの私小説が入ればそりゃノイズにもなる。
凄くぼやきが長くなるのでここいらで一旦止めて、キャスリーンの退任を契機に再考される彼女の手腕や評価について話をすると、今結論づける段階ではないと思う。わし個人の意見を言うなら「ディズニーの声があるとはいえ、結局社長なんだからあの作品群の責任はあるでしょうね」という感じ。 『ローグ・ワン』や『アンドー』に高い評価をする人がキャスリーンを評価しているのも見かけた。個人の感想なのでそこに対して否定する気は毛頭ないけど、『ローグ・ワン』も最後のベイダー無双に救われた映画であって、『アンドー』はモン・モスマに焦点を当てたほうがよっぽど面白かったと思う。スピンオフのサルベージをするなら、『ローグ・ワン』に近い立ち位置の作品でゲーム『フォース・アンリーシュド』(ルーカス監修)で反乱軍の創設を語り、PSPで出たUbiの『リーサル・アライアンス』のほうがよっぽどスター・ウォーズらしいゲリラ戦を展開していたので、『ローグ・ワン』は質の低い二番煎じだなという感想だった。特に『リーサル・アライアンス』なんてデス・スター設計図を取りに行く話だしね。
今後のILM出身のリンウェンやデイブに主導権が渡る(らしい)のは嬉しいと思う。デイブは元々『アバター 伝説の少年アン』(面白いよ)でアニメーターを務めて、その後ジョージに弟子入りして徹底的に『スター・ウォーズ』秘伝のタレを叩き込まれて『クローン・ウォーズ』を作り上げた正当後継者だし、リンウェンは経営陣であるものの1999年からILMを引っ張っていた人物なので制作サイドへの理解もあると聞いている。
現に『マンダロリアン』や『アソーカ』という良質なスピンオフを手掛けたのもデイブ・フィローニあってのことなので、今後は彼の手掛けるスピンオフを見守るように観ていきたい。
最後に、この手のファン論争を観ていて確実に間違っているという主張について書いておく。
それは「ディズニー買収以降のスター・ウォーズを批判する割にはスピンオフを観ていない」という主張。類似する主張も含めてだ。
スピンオフというのは添え物であってメインではない。『スター・ウォーズ』は映画から始まった作品群で、基本的にはナンバリング作品がベースとなる。『ローグ・ワン』や『ハン・ソロ』もメインではない。スピンオフが好きで面白いと主張するのは理解できるが、「スピンオフを観ていないのに批判するな」や「スピンオフは面白い」という主張で、ディズニー買収以降のスター・ウォーズに苦言を呈す人に対して意見するのは完全に間違っている。
スピンオフがいくら面白かろうと『エピソードⅦ』『エピソードⅧ』『エピソードⅨ』が面白くなかったから「ディズニーしっかりしろよ」と意見するのは全く問題はない。むしろスピンオフが面白いなら優しく勧めればいいだけ。だいたいスピンオフの数なんて『クローン・ウォーズ』含めたら山のようにあるので、人が真っ当な感性を持っていたら勧めることなんてできない。 勧めるとしたら言葉をきつくして言うと「ただの異常者」。 『スター・ウォーズ』は基本、映画シリーズ作品です。



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