【連載コラム】畑史進の「わしは人生最後に何をみる?」 第21回 メディアと代理店とメーカーの在り方 そしてレビューというものの読み方捉え方

 

 

【文・畑史進(編集長Twitter):https://twitter.com/hata_fuminobu

 

早速だけど、当エンタジャムは僕、畑史進体制に入って4年が経とうとしています。詳細な数字は明かせませんがじわじわと伸びています。この間には様々なことがありましたが、ひとえに読者、並びに平素の生放送の視聴者の皆様に支えられているものだと思っていますよ。

 

さて、編集長という責任ある立場に着いてからというもの色んな物を見てきた。

ん?Twitterの方はそうでもなさそうと?

いやいやあっちは個人としての意見を書いてるとこなんで・・・

 

それはおいておいて、汚いものからきれいな面までメディアというフィルタを通じてこのエンタメという産業がどのようにして回っているのか、お金はどのようにして使われているのか、メディアはその間を縫ってどうやって生き延びているのか。

僕は幸い、編集長とライターとWeb生放送に関する技術、見地を持ち合わせているお陰でここまで生き延びることができた。自慢ではないが、他とはかなり違う。たまにライター業をやりたいという話を聞くこともあるけど、夢半ばに散ることも多い。声優と同じでライターって専業でやっている人はごく一部。有名なあの人この人は意外にも別の副業を持っていてそれが収入の大半だったりする。

 

僕の場合、これだけネットに特化しまくった挙げ句にPRや広告にまつわる話を内容だけでなく、技術や金銭レベルで細かく話をするのは見渡してもそうそういない。それ故に相場をはじめかなりシビアな話もするし、アドバイスもする。なんではなからちょっとこちらが割を食うような話を持ちかけられた場合は現在の相場や実情をまじえて話をするんで嫌われることも多い。まぁこれを、立場をわきまえない「世渡り下手」と言うのは分かっているけど、流石にビジネスとして自分だけでなく関わる人の生活を守るためにはやらないといけない話なわけで。

とまぁ関係ない話を長々とすると生放送のような感じになるのでここまでにして今回は題名にもあるように「メディアと代理店とメーカー」の在り方について話をしようと思う。

 

■情報の純度と意見の切り分け

 

エンタジャムは現在の方針としては記事を作るのは最低限に留めている。【以下プレスリリース文掲載】なんてのを見ると分かると思う。

これは多くの情報を届けたいがための単なる効率化を目指したものなわけだけど、正直なところ徹底的に手抜きをしたいというところが大きい。

4GamerやIGN JAPANのような大手のエンタメメディアもうちと共通して、メーカーや映画会社のPR部門、PR代理店、広告代理店からプレスリリースというのが送られる。この代理店は個人でやっているところもある。で、送られたプレスリリースは一般的には各メディアで扱いたいものを選別して、抱えるライターなんかに振って記事の作成を依頼する。記事はこのプレスリリースを元にしている。要はプレスリリースの書き換えだ。そのメディアごとの特色を交え、書き換えて記事の掲載をする。

この作業を一度経験したときにすぐに思ったのが「これって必要な作業なんだろうか」という疑問。だって、一般的に読者は純度の高い情報を求めるわけでそこでメディアが手を加えるとなったら、いくら事実が書いてあっても不純物が混ざる。中にはそのライターの所感が書かれることもあるがそれは不要だろう。これは他のメディアの方向性を否定したいわけじゃない。情報の純度に関する個人的な疑問だ。

 

必要な情報が書き込まれたプレスリリースをそこから更に個人の時間を注ぎ込んで作り直したり、純度を下げるのはいささか疑問だ。

だからこそ、うちはすぐに全部プレスリリースをコピペして貼り付けるという【以下プレスリリース文掲載】で済ませている。賞味な話、作業時間は長くても15分程度で終わる。メーカー側、PR側としてもいらん言葉を添えられるよりよっぽど良いのではないかと思う。ただ、稀に僕のアンテナにビンビンに感じるような熱意の高まる物があるならそれは書くに値するので【畑編集長の一言コメント】という形で添えている。それは題名にもつけている。

そこで僕は「PR側の発表」と「メディア編集長としての所感」を切り分けて読んでもらえるように配慮している。つもりだ。

 

■1つの代理店が2社出禁にしている現状

 

さて、そんなうちはいくつか出禁を抱えている。まぁ僕個人の目の行き渡らなかった、不徳の致すところもあるが、実際それは割合として多くない(はず)。具体的な名称は挙げないが観察力の高い人ならいくつかのメーカーが思い浮かぶだろう。

流石にマズったと思ったこともあるので上司であり、恩師であるジャンクハンター吉田に経緯と自分の考えを添えて報告したら「間違っていないと思うならそれでいいと思う。寧ろそれがジャーナリズムであって、出禁は勲章に思え。俺はお前の言ってることは間違っていないと思う」という意外にもアッサリしたもので拍子抜けした。いや、本来の社会人としてはありえないことなんだろうが・・・

 

さて、先に事実上の出禁になっているメーカーのうち、2社には同じPR代理店が介入していると言っておく。A社はあるゲーム機の予約終了日が記事解禁日になっている事を問題視して、発売直後に大荒れとなったことについて苦言を呈した。

これに加えてある有名クリエイターの手によって作られた待望の新作ゲームが、他のメディアでは満点近い高評価だったのに対して僕は仕上がり具合と操作性、システム全てにおいて一般向けの製品レベルに至っていない、寧ろ人を選ぶ内容でとても満点(この場合は日常生活でゲームに比重を置かないようなライトゲーマーが満足すること)がつけられるようなものじゃないと感じた。流石にこれに満点近いのは色眼鏡がかかりすぎていると見て酷評したら、まぁサイトのコメント欄含めてどえらいこっちゃになった。

トドメはとある映画を題材にしたゲームでゲームシステムが未熟すぎることと、あまりにも原作の良さを削いだような作り、原作映画を十二分に熟知しないと楽しめないという評価できるレベルに達していなかったので、苦言混じりのコラムを書いたことだった。これもエンタジャムの過去の物を探せば出てくるだろう。

 

B社はこのA社の一件があった後に担当になったようで、プレスリリースは送られることがあっても、こちらから問い合わせのメールを出しても返事が無いどころか、こちらがわざわざ電話をしても鼻で笑うようなイントネーションが入った上に、それ以降にメールのやり取りがあっても「すみません」「申し訳ありません」の一言も言えないほど酷いものだ。

 

さて、これらはお前の不徳が招いたことだろうと思うかもしれないが、ここで少しメディアとメーカーとPR、広告代理店、そして読者はじめとしたユーザーの関係について僕の所感を考えたい。

 

■嘘を書いて個人は得をしない潰しが効く人間ならそれは死になる

 

まず第一に、メディアは嘘を書くべきではない。

嘘を書くということは読者からも信頼されないし、読者も僕らの嘘を信じて誤って商品購入をしてしまい、被害、不利益を被ることになる。これは許されない。ましてや僕らが書く対象は少し高額な商品が多い上に、日本は返品システムが整っていない上にPL法もまともじゃないので、最終的なエンドユーザー(購入者、使用者、読者)が泣き寝入りをすることになる。

そんな「嘘をつかない」ということだが難しい部分でもある。

僕も人間なので、間違った解釈や誤解から変な認識を持つこともあるし、思い込みや疲れで空目して思わず間違うこともある。その時は素直に間違いを認めるし、自分の間違いを書き込んで投稿したらデマの拡散になるので速やかに削除する。これは証拠隠滅ではなく、デマの拡散を防ぐためだ(念のため)。

さて、メディアとはマスメディアの略称でもあるけど、ミディアム(中間・媒介)が語源にもなっている。事とその情報を知る人間の中間に立ち、伝言ゲームとして伝えるのであるから理解が行く。そんな「メディア」という大きな肩書はあれども記事やコラムを書くのは人間なので、最終的には個人の所感、感想、感情が交じる。プレスリリースをもとにしているの純度を下げるとそれは嘘を書いているのと変わらないと思う。しかし、人間が文章を書く以上、情報を伝えるのに感情や意図を完全に抜くことはできないわけ。読者は記事に書いてある全ての情報は嘘であるとかからないといけない。だからこそ【以下プレスリリース文掲載】だけをおいて記事としたい。書きたいことがあるなら別カテゴリに分けてそこに書くという意図だ。

 

嘘というのはこれだけではない。僕(やメディア)がいかに大義を持って起きている出来事、感じたことを記事やコラムにしても、メーカーや代理店にとって都合が悪く、その部分を矯正されたりすると、それも立派な嘘をついたことになる。自分にも嘘をつくことになるのですこぶる気分が悪い。

 

こうした“書いてほしくない”ことは掲載前に釘を刺してくることがある。さっきある有名クリエイターのゲームを酷評した時の事を書いたが、その掲載から30分後、PR代理店から電話が届き「はじめまして〇〇社の〇〇と申します。この度のお宅の記事ですが。」と30分近く苦情に近い電話が入った。要約すると「もう少し短くしたほうが読まれやすい」だとか一般的なところから始まったかと思うと「この記事を読んで関係者、親族がどう思うか?」「これは貴方の感想であって、メディアの感想じゃないですよね?」「こういったレビューを書かれると弊社の今後の仕事が少し滞るんですよね・・・」といったものだった。まぁおおよそ察しは付くだろうが僕も短気な方なので「忙しいんでまた今度話しを聞いてあげますよ」と言って切ってしまってそれっきり何も更新はしなかった。これを立派な圧力と言わずしてなんというのか?

 

もう一つとある映画を題材にしたゲームに関しては「以前もお話したかと思うんですが、こういった記事を書くと今後、お宅にリリースを出せなくなるんですよね?」「〇〇社さんに相談を出さないといけないんです」とまで言われた。

流石に二度目だったんでむかっ腹が立つも、相手の話の中に原作映画の話が一つも出てこなかったことに若干不思議な感覚があったのでこちらから「長々と苦情を言われてますけど、原作映画って観たことあります?シリーズ物なんで一作でも良いんですよ?」と聞き返したら「いいえ、観たことは無いです」ときっぱり。

いやいや、原作映画を知っている身の自分が映画原作のゲームについて書いているのに、これからそのゲームの売上を伸ばすための仕事をする立場の人間がシリーズ一作も観たことが無いってそれはプロでもなんでもねぇよ。って思ったね。そんなもんだから「じゃあ一作目から解説するよ。今度うちの会社に来て一緒に観ましょうや、そうしたらこのゲームをいかに不十分で足らんものかよく分かると思うし、このコラムの意味も分かるよ」って言ったら「結構です、それでは〇〇社さんに報告しておきますね♪」とこんな明るい感じで電話を一方的に切られた。それ以降この代理店からは案内が滞るわ、それまで案内が来ていた別会社の物がここになってからは来なくなるわで今に至っている。因みにその映画原作のゲームは発売から1ヶ月で、ヨドバシカメラで1,000円になりましたね。

 

昨今、東京五輪とかで広告代理店の関係者が軒並み逮捕されているのはご承知の通り。

PR代理店と広告代理店。ぶっちゃけこれらの違いはそこまで無い。広告として様々なメディアに広告をうつか、広報としてメディアに紹介してもらうかの違い。代理店という立場なので、メーカーという虎の威を借る狐、小判鮫、メーカーの子飼いチワワでしか無い。

こちらがどんなに理由(正当であるかはあえて言わない)を述べてもそれをメーカー(主側)に正しく伝えることはない。こちらもわかっている。

まぁ「面白くなければ扱わなければ良い」というのが正解だろうが、乞食じゃないので触った以上はある程度責任は果たさなきゃならないし、嘘はつけない。これはメディアの人間として辛いところである。

 

そこで考えたいのが、一般のエンドユーザーとメディアという少し特権を持っている我々の違いだ。

我々は契約の名のもとに一般販売よりも前にゲームなど商品を触らせてもらえる。知ることができる。そうしてメディアというのは触った感触をニュース、レビューとして決められた日時以降に紹介することができる。

そこに、自分が感じたことを書かず嘘偽りの物を掲載したらどうなるのか?

仮にそこに関わったライターである僕が感じた危険、危惧して書いた事を無理やり消されて、メーカー、代理店にとって都合の良いことに書き換えられたら。それが大きく拡散され、読まれ、発売当日を迎える。稀有に終わるなら自分の感性が間違っていたと素直に認めれば良い。もし、自分の危惧したことが当てはまっていたらどうなるのか?いわゆる提灯記事に加担したら?

 

僕はこの世界で信用の置かれない人になる。

 

メーカーはどうなるのか?メーカーは巨大な資本を持っているのでそうそう潰れることはない。代理店も同じだ。

 

ただ、僕やライターのようなただの一般個人は多くの読者に「嘘つき」「メクラ」などと書かれで信用が置かれない。ひどい場合には廃業も同然になる。その責任をメーカーも代理店も取りはしない。彼らは強制するだけであって、責任は取らない。彼らの立場も分かる。彼らも仕事を無くすことを恐れている。しかし、必要最低限の仕事もしないようなら潰れても致し方ないと思うのだが?

 

そもそも、メディアの方向性は各々決まっているのであって、これらはメディアに対して感じたこと、危惧することを消させるよう強制する権力や言い分は何もない。従う理由もない。

 

■もし僕が嘘をつく時があるならそれは”広告案件”だ

 

ただ、メーカーにとって都合の良い真実を書く時がある。

それは広告だ。

 

これは当たり前のものだと思っていただきたい。家電メーカーが「このエアコンは電気を食う割には部屋の温度を下げるのに他のエアコンより3倍かかります」なんて事をバカ正直に書くだろうか。書く訳がない。広告とはいかに見栄えを良くするかということにつきる。だからこそ、情報が乏しかった昔はメーカーの発表するがままの実態とかけ離れたような出来事が多かった。

とは言え、メディアは広告を取らないと仕事にならない。広告にはそのゲームの良い所を書くだけでなく、良い所を無理やり見つけて凄く良いように書く。これは広告なので当たり前。広告はお金をメーカーからいただいているのだから仕方がない。しかし、メディア側もそれが広告であると分かるように【PR】もしくは広告と表記している。広告であることと、メディアの感想であることを分けている。要はステルス・マーケティングにならないように配慮しているわけだ。

 

広告でも無い。お金を受け取っているわけでもない。ただのプロモーションの記事、その商品の存在を教えるだけの報酬ノーマネーの物に対して必要以上に書き直しを要求する事実がある。

これに対して僕はおかしいぞと声を上げる。

読者諸君はどう思うだろうか?

確かに僕は「生きるのが下手」かもしれない(最近こんな言葉があると知った)。ただ、それ以上に大切なのは正直に物を話すという信頼だと思う。それで嫌われるならそれでいい。

 

■個人の感想であるレビューに不満を持つのは当たり前 それを叩くのは嘘をつかせるのと同義であり、クリエイターをも殺す

 

そこで最後にレビューというものについて話したい。

レビューを書くときには僕もなるべくその作品の良い所を見るようにしている。だけど、世の中には恐ろしく「このレベルでよくこれを出そうと思ったな」というものもある。中には「これは世の中で評価されるほど良いものじゃないだろ。過大評価というやつじゃないか」と思うものもある。

 

あくまでメディアで出ている文章とはいえども、そこに書いてあるのは個人の感想を軸にした文章だ。そこにメディアとしての方針が肉付けされることがあるが、幸い「エンタジャム」はメディアとしての方針は「個人の思いを尊重、嘘は書かない」だ。それはうちが完全独立系のメディアだから成し得ている(余談としてメディアの記事やコラムを読むときはその会社のグループ、主要株主等見るとだいたいその方針が見えるので観察してみると良い)。レビューは作品に触れた誰もができることであって、そこに貴賤は無い。もちろん最近の『ホグワーツ・レガシー』のように人種差別を持ってきた言い掛かりめいたものが出たりもするが、あくまでその作品の良し悪しだけを論じたレビューに対してレビュアーに対して人格否定めいたコメントを書いたり、自分にとって気に入らないからと徹底的にいじめのようにSNSに持ち込んで嘲笑するのは違う。意見というのは発した時点で他者と違うものであるのは書く側は分かっており、読む側も自分とは異なる意見であることを当たり前だ。

こうした良し、悪しを書いたレビューに対して、必要以上に叩きのめすのはレビュアーを萎縮させるだけで、悪い部分を悪いと書けなくなったその時、製品の質が下がり、最終的に粗悪な商品が出回る。これは提灯記事と変わらないし、最終的にはレビュアーを完膚なきまでに叩きのめしたエンドユーザーにつけが回る。それは自分たちが嫌う提灯記事に騙されることの前段階になっていると思う方がいい。自分の意見があるならレビュアー叩きではなく、しっかりと自分の言葉でその商品、作品についての良し、悪しを自分のブログなり、SNSに書くことから始めていただきたい。ワンチャンメディア、もう一つのキャリアへの道も拓ける。

 

ましてや世界的に有名クリエイターだからと、変に色眼鏡をかけて「作家性だから」などとヨイショヨイショで持ち上げたらどうなるのか?

申し訳ないが、世界的に有名なクリエイターだからこそ厳しく見るべきだと思う。世界的に有名なクリエイターだから、世界的に、一般層にも幅広く受けいれられるわけでも無い。

多くの人のブランドに酔いしれた盲目的な絶賛レビューを見て信じて購入したとき、貴方はその責任を取ることができるのか?

むしろ、世界的に作家性のあるクリエイターなら、その作家性の誤りも指摘するのが評価する側の筋であって、作家性を変に甘やかすのはそのクリエイターの死期を早めることに手助けしている。

 

長くなったのでここまでにするが、エンタジャムは今後も僕の感想、思い、評価を発信していくし、今後若いライターやレビュアー、タレントが入ってきたなら彼らの意見を尊重し、違うことがあるならそこに激論を交えていきたい。

 

金でその人の意思や思い、思想を曲げることはしない。

そうした世の中の均衡、世論を乱し、必要以上に職権を乱用、悪用する代理店には屈しないとここに宣言する。

 

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