【文・鶴岡亮】
鶴岡亮Twitter:https://twitter.com/ryoutsuruoka
今作公開前、クイーンのブライアン・メイとロジャー・テイラーが音楽プロデュースした「ボヘミアンラプソディー」と、その最後の数週間部分を監督したデクスター・フレッチャーが今作でも監督を勤め、エルトン・ジョン本人が製作に参加した「ロケットマン」は似た構成の伝記物語になるのかと不安に駆られたが、そんな事は無くロケットマンは独自の魅力を持った完成度の高い映画として作られていた。
今作のボヘミアンラプソディーと異なる部分は、伝記物語的体制をとりつつも合間にミュージカルの要素を含んでいるところだろう。冒頭エルトンは大勢が円になって椅子に座りながら、各々の内心を吐露するグループセラピーで自身の半生とその苦悩を振り返る。そこから様々な人生体験を思い出していく中で、その時々にあったミュージカル演出が挿入されていくのだが、使われる楽曲がそのシーケンス毎にエルトン自身の心境を代弁していて、伝記物語とミュージカルの見事なハーモニーを産み出している。エルトンが少年から青年に成長するシーンのSaturday Night’s All Your Lovingや同性愛者のエルトンの親友で片思いのバーニー・トーピンとの楽曲制作シーンでのYour Song、バーニーが女遊びに明け暮れるのをエルトンが眺めながら孤独感を感じるときのTiny Dance、バーニーがエルトンと決別し去りゆく所でGoodbye Yellow Brick Roadが使われるシーンは心揺さぶられるものがあった。
今作は製作にエルトン・ジョン当人が参加しているだけあって、彼のドラッグ依存症、アルコール依存症、セックス依存症に関する描写も抜かりなく描かれており、当人が映画製作会社に自身の意向を通して制作されたのが伝わってくる。中でもエルトンがジョン・リードと濃厚に愛し合う姿や、酒とドラックをがぶ飲みしながらプールから飛び込みをする姿は破天荒の名に等しい描写になっていて崩れ行くエルトンの精神性を見事に描写している。
エルトン・ジョンを演じるタロン・エガートンの演技力も素晴らしく、エルトンの周囲からの抑圧への反抗心、愛情の渇望、崩れゆく精神を説得力のある演技で表現している。中でもミュージカルシーンでの歌唱力が素晴らしく、声質は違うが吹き替え一切無しで「Saturday Night’s All Your Loving」、「Don’t Go Breaking My Heart」「Your Song」や「Rocket Man」を歌いあげる様は大ヒットシンガーとしての役柄に説得力を持たせていて観る価値ありだ。
それにエルトンが着るゴージャスで光輝くド派手な衣装もステージでは煌びやかな大スターとして映えるが、グループセラピーのシーンやステージ裏では逆に滑稽に映り、彼の外面と内面のコントラストを表していて非常に効果的だ。特にセラピーのシーンでは彼の煌びやかな衣装がストーリーの進行とともに脱ぎ捨てられていき、スターとしての成功の代償として傷だらけの内面が向きだしになっていく模様を表現していて、視覚的に物語の進行を表現する舞台装置としてうまく機能している。
更にボヘミアンラプソディーの関連キャラクターとして音楽プロデューサー・ジョン・リードがリチャード・マッデン演じる登場人物として登場するが、2作を比較すると同じ人物でありながらもコントラストの異なるキャラクターとして描かれていて、クイーンとエルトンの彼への印象の差異を比較出来るのも面白い。
ここからネタバレに入るのだが、序盤で紹介した通りエルトンの物語はグループセラピーを通して展開してゆくのだが、終盤に新世紀エヴァンゲリオン26話「世界の中心でアイを叫んだケモノ」を思わせる演出が登場したのに驚かされた。これまでの登場人物がエルトンの内面のトラウマとして登場し、それにエルトンが自問自答を繰り広げる展開になるのだが、この物語のコアのエルトンが彼らのトラウマを乗り越え自身のアイデンティティの確立を達成するテーマにふさわしい演出になっている。エヴァを見たことある人なら両手で拍手しながら「おめでとうエルトン!」と言ってしまうこと請け合いだ!といっても引用元はおそらくエヴァ最終話の元ネタのフェリーニの8 1/2だと思われるが。
ミュージカル仕立ての伝記物語としての見せ方や、タロン・エガートンの歌唱力と演技力、トラウマを乗り越えアイデンティティの確立を達成する物語はエルトン・ジョンというアーティストを見事に脚色したエンターテイメントと言えるだろう。
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