【文・畑史進】
【ストーリー】
冷静沈着で車椅子のユウ、バスケ部の人気者のハル、ハルの彼女コトナの3人は幼なじみ。ある日、突然襲われたコトナを助けようとしたユウとハルは、現実世界と並行する魔法世界「二ノ国」へ引き込まれる。そこは命がつながった“もう一人の自分”がいる世界。次第にユウはコトナにそっくりなアーシャ姫に惹かれていく。しかし、そこには「コトナの命を救うにはアーシャの命を奪わなければいけない」という残酷なルールがあった――。コトナを救いたいハル。アーシャを守りたいユウ。“大切な人の命”をかけた究極の選択が迫る時、ユウとハルが下した決断とは–?
8月23日に公開の『二ノ国』はレベルファイブの同名のゲーム作品の設定を引き継いでオリジナルストーリーで構成した内容なので、特段事前にゲームの知識がなくても「新しいジブリ作品を観に行く」というような感覚で鑑賞することができる。
世界観も現代日本を舞台にした「一の国」と、RPGのような人獣型の人物が入り混じっている「二ノ国」が並行して存在するパラレルワールドものの作品。2つの世界には容姿のよく似た人物がそれぞれ存在し、容姿の似た人物は双方に「命のリンク」が存在して、どちらかの世界で死ぬと同時にもう片方の人物も命を落とすというよくある設定を採用している。
この手の作品は最近だと3DCGアニメ作品の『明日世界が終わるとしても』が記憶に新しいが、僕らの世代だと『鋼の錬金術師』のアニメ第1シリーズから『シャンバラを征く者』の流れの印象が大変強く、『ハガレン』のほうが双方の世界の関係性がちゃんとシステムとして確立されていたので面白かった。
ストーリーは冒頭に紹介したとおり、障害者のユウと健常者のハルは、共通の女友達コトナと何の変哲もない日常を送っていて、ある日コトナは変質者にナイフで刺されてしまう。コトナを救出する為に駆けつけたユウとハルは犯人を追い詰める矢先にパラレルワールドの「二ノ国」に飛ばされてしまう。
飛ばされた後、周りの風景や障害者のユウが車椅子なしで歩けるようになるという唐突な出来事に夢だと思いこむ2人は、この国コトナにそっくりなアーシャ姫が死に直面する病にかかっている事を知り、他人事に思えず城に潜入する。
ユウはアーシャ姫が、直前に平行世界で襲われたコトナがナイフで刺された箇所と同じ箇所に「ナイフ形の呪い」がかかっている事を見抜き、これを抜くことで解決してハルとともに一躍「二ノ国」のヒーローとなる。この後にユウは回復したアーシャ姫から双方の世界の「命のリンクシステム」を教えられる。
これを事前に仕込まれた陰謀だと感じた「二ノ国」の大臣は王に進言して、ユウとハルを罠にはめる。この罠から脱出するために行動した2人は再び自分たちの世界である「一ノ国」に戻ってしまう。その後、ユウとハルは襲撃されたはずのコトナが何事もなく元の状態でいた事に一時は安堵し、「二ノ国」の出来事は夢だったのではないかと思いこみ元の平穏な日々を過ごす。
そんな平穏もつかの間で、再びコトナの体にガンが発覚するという事態に陥り、「二ノ国」のアーシャ姫の身に何かが起きていると悟ったユウはこれを解決するために、ハルに再び「二ノ国」に行くよう説得する。ところが、いまだ「二ノ国」は夢の世界だと思いこんでいるハルはユウの話すことを信じない上、「一ノ国」と「二ノ国」の「命のリンクシステム」の誤った知識を吹き込まれ、「二ノ国」でユウとハルはそれぞれ軍を率いて戦うことになるという原作のRPGをちゃんと2時間のアニメ作品に落とし込もうとした内容になっている。
ただこれを観終わった後に僕は、「日本人の障害者意識はここまで低いものか」と色々考えさせられ、これがゲーム原作の映画として最も酷いものではないかと心のなかで形容しがたい気持ち悪さを覚えた。
去年の6月にジャンクハンター吉田が右足を切断してから、一緒に行動する時は著しく移動能力が衰えた彼に歩調を合わせ、『ロボコップ』のトークショーで広島を訪れた際は、極力体に負担が出ないよう親の車を駆り出し、車椅子もレンタルできるところを探したりと色々手段を講じた。
余談だけど、広島の路面電車、広島電鉄に乗る際に足をあげることが中々出来ず、ヘルプマークをつけている吉田さんに対して広電の職員から「早く乗ってください!」と大声を出して急かすというとんでも場面に遭遇して、とっさに僕が「この人右足がないんですよ?」と説明したら職員が黙り込み、なんとも言えない空気が流れたのは一生忘れられないだろう。
元より子供の頃から周りには原爆で体の一部が欠損した人を始め何かしらの障害を抱えた人たちと接していたため、別け隔てなく意識してその障害に合わせて行動するのは割と当たり前な意識として根付いているせいか、この車椅子の歩行困難者のユウのストーリー上での扱いから作品の至る箇所で障害者配慮が欠けている(というより意識すら無い)と感じた。
まず絵から見てほしいのだけど、ユウはX-MENのプロフェッサーX のように電動車椅子に乗って生活している。
・・・まるで「車椅子にレバーつければ電動車椅子でしょ」と言わんばかりの形状だ。
電動車いすを作品上で使うことに全く問題は無いと思うが、やるにしてももう少し実在の物を参考にするとか思わなかったのだろうか?
プロフェッサーXのようなSF感満載の作品ならともかく、これは一応現代日本に近い世界を舞台にした作品で、細かいディールをすべて再現しろとまでは言わないが、ノーマルの手押し車椅子にレバーつけただけの手抜きをみせられたら制作陣の潜在意識を疑わざるを得ない。
更に序盤10分くらいのシーンでは、コトナとハルが「美味しい店に行こう」と誘いをかけ一緒に向かうがその先に、物凄く急で長い階段を目の当たりにして絶句するところがある。
これはまだ予想だにしなかった道のりに少しがっかりする程度で済んだにもかかわらず、ここでユウにわざわざ「邪魔者はここで帰りますね」と言わせてしまうのだ。
確かにこのシーンの前ではハルとコトナは男女のカップルとして付き合っていることが説明されていて、このシーンでは仲良しカップルに付き合うユウという3人の組み合わせで進んでいたのけれど、いくらカップルが出来上がっていることを前提にしても、障害者にとって困難な状況が出てくる場面で「邪魔」というセリフを言わせるのかと思うと心持ちが悪い。
更にこのシーンの後には、危機に陥ったコトナを救うためにユウが電動車椅子で救出に向かう「電動車椅子チェイス」という、アニメでもやっちゃいけないようなチェイスシーンを見せられる(途中車で輸送するシーンはある)。
電動車椅子に少しでも触れたことがある人なら分かると思うが、意外にも馬力やパワーはなく、少しの段差でも乗り越えられなかったり、最悪蹴躓いたりする可能性もある。ところがこのアニメではまるで「すべての道はバリアフリー!」と言わんばかりにユウに危険な電動車椅子でのチェイスをやらせるのだ。
X-MENに例えると、全力で逃げようとするするマグニートー相手にプロフェッサーXが電動車椅子に乗ったまま追いかけるところを想像して欲しい。それに近いことをこの映画ではやっているのだ。ある意味突拍子もないレアなシーンなので一見の価値はあると思うが、もはや失笑モノだ。
電動車椅子の作画からありえないセリフまでを踏まえると、この作品の制作陣、特に製作総指揮で脚本も務めた日野氏の車椅子使用者に対する考え方がよく分かる。少し荒い言い方になってしまうが「ありえないでしょう」。これが物語序盤15分で展開されるのだから見ている側としては失笑だ。
物語の終盤ではこれに追い打ちをかけるかのような展開が待っていた。
「二ノ国」で健常者になったユウは、コトナにそっくり(命のリンクがあるからほぼ同一人物)のアーシャ姫と恋仲に落ちるのだ。
アーシャ姫はハルとも面識があるのだが、二ノ国ではハルには殆ど目もくれず、自分の事を慕ってくれるユウに意識が向いたからだが、これではまるで「障害者は恋の対象にならないよ」と言われているようなものに見えてしょうがない。
本来ならば「世界が違うから」「ハルはすでに彼女がいるから」という理由付けもできるが、ここまでに障害者に対する意識の無いシーンをみせられると、もう徹底的に障害者差別を推し進めているようにしか見えなくなってくる(もちろんそうでは無いと“信じたい”)。
しかも最後のシーンでは「二ノ国」にユウが残り、「一ノ国」に戻るハルと別れを告げるのだが、「一ノ国」ではコトナを始めユウに関わっていた人物が皆ユウの事を忘れてしまう。
確かにその世界にいない人の事を覚えていたらただの失踪事件になってしまうので、それはそれで問題になることは間違いないけど、映画全体のツッコミどころや問題点の流れから「障害者はこの世界にはいらない。障害もなにもない不思議な世界に旅立ってくれ」というふうに見えてしまう(何度も言うがもちろんそうでは無いと“信じたい”)。
障害者に対する意識の無さが露呈するばかりの映画だったが、その他のシーンでは一応原作のRPGっぽい戦闘シーンも用意されている。出来の方はまぁ、よくも悪くも平々凡々で、特に新鮮さも古臭さも感じられずアニメでは良く頑張ったほうだと感じられた。
もしかしたら障害者との関わりが薄い人にとってはファンタジー映画として楽しめるかもしれないが、僕は残念ながら終始頭を抱えるほど心にしこりの残る作品だった。
日野さんは今一度、障害者の現状をちゃんと勉強してDVDやBlu-ray版では修正をするくらいの心で作品を作り直してほしいと切に感じた。
畑史進Twitter:https://twitter.com/cefca_vader?lang=ja
コメント
こういう人をソーシャルジャスティスウォーリアーって言うんだっけ
こじつけが凄すぎて草
こんなにヤバい作品なのか
マイノリティの実態を知らない作者がマイノリティを描くとだいたいろくでもないことになるが、この作品はアニメであるから、制作の過程では何百人もの人間が関与したはずだ
誰か、この描写はまずいですよと言わなかったのだろうか
電動車椅子の作画がひどいのは間違いないが
それ以外の部分は言いがかりがひどいのでは
ジャンクハンター吉田の話がしたかっただけなのかもしれないけど
要約すると「障害者はおとなしくしとけ」って言いたいのかな。あらすじを追って文字数を稼ぐ小学生の作文みたいな文章だな。電動車椅子もマキテックとかヤマハとか軽量化がすすんでるけど。この人こそ障害者情報の更新してないんじゃないのか。
こういう見た目の車椅子あるけどな
ただ叩きたいだけにしか見えない
自分も障害者だけどこじつけがひどいとしか言いようがない
ただ自分は助けてて偉いでしょ!って承認欲求にも見えるくだらない論評に見える。
電動車椅子で爆走は不謹慎ながらワロタ
軽量化されてるっても車椅子チェイスwなんてされても困るが…w
というかわざわざ車いす障害者にしなけりゃよかったのに
必要性ないんだから
<<アーシャ姫はハルとも面識があるのだが、二ノ国ではハルには殆ど目もくれず、自分の事を慕ってくれるユウに意識が向いたからだが、これではまるで「障害者は恋の対象にならないよ」
ここの部分がいくら読んでも理解できない。これは本編見ないと理解できない所?ニノ国ではユウは健常者なんでしょ?ニノ国でもハルは健常者なんでしょ?アーシャ姫はニノ国の人だからユウとハルを健常者だと思ってるんじゃないの?何故「障害者は恋の対象にならないよ」なんだ???
アニメだと歩ける人も走って自動車より速いこともあるんだから車椅子が速くてもいいのにね
車椅子の人が命懸けで人を助けてもいいじゃない
差別発言だよねそれ
このレビュー、障がい者に対する差別だよね。
障がい者はアクションしちゃいけないって言ってる。
「電動車椅子はそんなにパワーありませんよ」って指摘するくらいならまだしも、「アニメでもやっちゃいけない」と言っちゃってる。
現実に即した表現しかできないって制約を課すと、障がい者はあらゆる作品で活躍する機会を失うと思うんだけど。
そして、こんなレビューが増えると障がい者自体を作品に出しにくくなると思う。
このレビュアーは、自分の良く知っている部分の表現に対するアラに目が行き過ぎて、周りが見えなくなってると感じるね。
»ノーマルの手押し車椅子にレバーつけただけの手抜き
ヤマハの簡易電動ディスってて草
少し被害妄想が過ぎませんか。
ここのコメント欄で
いかにアニヲタゲーヲタが障害者差別主義かわかるな
ブヒれれば障害者の扱いなんてどうでもいいって事か
ヲタは劣等人種って言われるだけあるわ
無能な味方はなんちゃらって言葉を思い出す記事だな
コメント欄でオタを障害者差別主義者と指差しちゃう差別主義者野郎ちーっす
すげーな
こう言う奴を現実とゲーム、アニメ、漫画などの非現実の区別がつかないって言うんだぜ
ぜひ「イナズマイレブンは死んだ」で検索してブログを読んでください。
脚本書いた日野についてボロカス叩いています。
放送中のイナズマイレブンアレスオリオンも日野が脚本で、キャラ崩壊やありえない姑息な手を使った試合展開に周りのファンたちから叩かれまくっています。
(無印は別の方が脚本です。)
イナズマイレブンクラスタから言わせてもらうと、日野が脚本で酷くないわけがない。
今放映中のイナズマイレブンの方がキャラ崩壊やストーリー酷いし
日野を脚本にするとロクなことがないのは証明済みだったのにさ。
刺激的な見出しで釣っておいてあらすじと余談とこじつけだけ。アクセス稼ぐだけの空っぽな記事ですね。
このレビューが気になって映画を見た。
面白くはなかったが差別的だとは思わなかった。障害についての興味がないんだろうとは感じた。
普段から障害のある人と付き合っているからこそこじつけてしまうのかもしれないが、障害について良くも悪くもメッセージなんてない。
障害者に関してしか触れてなくて中身に関するレビューほとんどねえじゃねえか
こんなのチラ裏かTwitterにでも書いとけば良いのに
「邪魔者はここで帰ります」云々は単にカップルと同席は居心地悪くて途中で抜ける理由を探してただけなんじゃないの
そこに自分の障害のこと利用したんだからむしろ強かじゃないか
あとX-MENでの例えよくわからん
なんでフィクションの超人で例えてんだよ。現実世界で例えてくれ
チェイスはともかく他は言いがかりだな
チェイスはともかく他は言いがかりだな。
申し訳ないが、障害者はそんなにヤワじゃない。普段いろんな障害者に接してる者としてはこのレビューには違和感を感じました
他の人も言ってるけど、このレビュー障害者に対する差別私もそう思いました。
レビューなんだからどこが良かったか、どこが悪かったかを書くべきです。
少なくとも私は、この映画に対する他の人の感想を知りたくてここに来たのに、それらしいものがほぼ無い。違和感しかないです。
障害者は健常者様に生かしてもらってるだからそれ以上を求めないで