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【連載コラム】畑史進の「わしは人生最後に何をみる?」 第3回 映画『二ノ国』から見えた日野晃博氏の作品への向き合い方の甘さ 認識の甘さ 考えの甘さ

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【文・畑史進】

畑史進Twitter:https://twitter.com/cefca_vader


『二ノ国』のレビューが公開されてからというものSNS各所で話題になり、反響の大きさに驚いております。

映画を観ての感想は十人十色で、見る人の経験や立場から受け止め方があり、鑑賞者の数に比例してレビューの種類は増えるし、僕は僕の経験から『二ノ国』という作品をあの様に感じました。映画を観に行くかどうかを僕のレビューをはじめとした意見を参考にするでしょうが、鑑賞もせずに作品やレベルファイブの日野さんの批判をしたり、するのはあってはならない事で、その目で作品を確認してから自分の言葉で感想を書くべきだと思います。ましてやレビュアーに対しての匿名での人格攻撃は卑怯者の所業でしょう。

多くのコメントや感想を受け取っており目を通しておりますが、「ちゃんと文章を読みましょう」


さて、先日書いたレビューで作品の冒頭15分あまりの間に歩行困難者、車椅子への認識が甘すぎるセリフ、演出から映画の最後まで純粋に作品を楽しめない要因になったと話した。
もちろんレビュー公開前は考えすぎなんじゃないかと思った。ところがどう思い返してもセリフは代替の効くものが考えられるし、電動車椅子チェイスをやるにしても説得力のない作画、演出から推察すると日野さんの障害者への考えは無いに等しいのでは無いかと思ってしまうわけ。

これらの“捻くれた見方”に拍車をかけた一つの要因としてユウのキャラクタービハインドの薄っぺらさがあるのかもしれない。

同じように障害者を主人公にしたものに『フォレスト・ガンプ』という名作がある。
同じ冒頭15分の間にフォレストには知的障害に合わせて歩行困難というペナルティを背負っている様子が伺える。フォレストは映画の早いうちに歩行困難を乗り越えるシーンがあるが、かなりファンタジックに描かれる。
もちろん映画を盛り上げる効果も狙っているが、イジメという非常に不快なシーンにも関わらず素直に受け入れられるのは、力強くフォレストが両足を使って逃げ切ろうとし、これに合わせて強固な補助具をバラバラにするからこそ、この先に展開に希望が持てるシーンとして映える。



作品もフォレストの知的障害な部分に関してもそこをただの知的障害に留めず、「全ての出来事を純粋無垢に受け入れられる人物」としてポジティブなキャラとして確立させたから鑑賞者の多くはフォレストに対して純粋に応援する心が芽生えたのでは無いだろうか?
ベトナム戦争時代の上官も両足を失ってしまい、アメリカに戻ってから捻くれた性格となっている様子が映し出される。ところがその上官もフォレストの純粋さから再度生きる希望を貰い、立ち直るという力強いドラマがあるからこそ、そういった目に余るシーンも気にする事なく一つの過程として純粋に受け止められた。

更にこの作品では演出から台詞回しが貧弱すぎたがゆえに日野さんの障害者への認識の甘さを際立たせてしまったと言っても過言では無い。

「邪魔者は帰りますね」というセリフも今でも考えすぎだと信じたいが、後々の電動車椅子チェイスの演出に説得力がなさすぎて、連鎖的に電動車椅子のデザインの悪さに突っ込みを入れざるを得なくなった。
コメントでもあの形状の軽装化された電動車椅子がある事を指摘しているものがあったが、当然知っている。
ただ、電動車椅子で爆走するには動力周りを始めとした部分で説得力に欠けるデザインをしているからおかしいと指摘しているのだ。
電動車椅子でチェイスさせるにしても、必死で逃げる相手にレバーを倒すだけで終わらせず、追いつけないと判断してからハンドリムを必死に回して爆走させるという手があったはずだ。
車椅子を自分の手で回した結果爆速を叩き出す事が出来たら、ユウは影で並々ならぬ筋トレをしていたのではないかと推察できるようになるし、作品のキャッチコピーにも入っている「命」の輝きが魅せられたかもしれない。
『7月4日に生まれて』とかも観ていないのだろう。車椅子になってしまった人物には歩けない以外の悲壮さなど匂わせる過程が色々あるはず。実際に描かなくともキャラの発するセリフも演出も薄っぺらいせいでそうしたことを感じる事もなく、車椅子の男の子を誕生させただけで満足し、そこで止まっているようにしか見えなかった。
ましてや『7月4日に生まれて』は脚本から演出が非常に丁寧で伏線も敷き、辛いシーンが多くても映画の終わりにスッキリさせる締めくくり方となっている。観てたらもう少しまともなストーリーになっていたでしょう。





アニメで車椅子を扱った作品として『サウスパーク』も参考にできる。
この作品にはティミーというキャラがおり、セリフも「ティミーティミー」くらいしか喋らない。
『サウスパーク』はあまりにもお下劣な描写が多く、ティミーも障害を武器に様々な不謹慎ネタに使われるが、こちらは彼の人間性を尊重した上で扱われているように感じられる。

これは『五体不満足』の乙武氏のTwitterでの呟きに近い部分があるが、アメリカはベトナム戦争後に多くの心身障害者を抱える事になってしまった。それ故に国全体のバリアフリー化が急速に進み、障害者は社会的に広く受け入れられている。
これは僕の実体験だが、現に車椅子を押していても日本人と海外からの渡航者は道でこちらに気付いた時の気遣い方、認知した時の対応スピードが明らかに違う(こういう事を言うと特別意識を毛嫌いする意見が出てくるのは熟知しているし、自意識過剰と返ってくるの予想できる。ただ現に実体験しているからここに書いている)。

これでは脚本を手がけた日野さんは車椅子をストーリーをもり立てるギミックにする事もできず、ドラマを用意できず、ただのアイコンとして扱って終わらせたとしか思えない。
参考にするべき作品も観たことがない、観ていたとしても深く読み解こうとすることなく風景のように眺めていたくらいではないだろうか?
だからこそ「やりたいならもっと勉強するべき」とメッセージを送るのだ。

脚本の酷さを指摘する人もいる。
インタビューによると「ゲームとアニメの脚本の作り方に差はない」と断言してしまった。ご冗談でしょう?(参考:ねとらぼ  https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1908/20/news048.html




そして最後に言及したいのが、ゲーム原作映画にも関わらずメディアミックス、ビジネス面でのチグハグさだ。
ゲーム原作映画は、ただ映画を作って儲けるだけでなく、『スィートロード』以来ゲームの認知度を高めて新作の売り上げを伸ばすPR効果、ファンサービスの側面も持っている。

今度の9月に第1作目のリマスターが発売されるが、そもそも最初の作品が9年前でその間リメイク含め2作しかない作品だったらより強固にゲームに寄ったストーリー作り、演出をするべきなのに、設定を立てるためだけの内容に終始していた印象に見え、とてもじゃないが映画の戦闘シーンに混ざってゲームをしたい、この世界の入りたいとは思えない。

寧ろエンタジャムでも何度も取り上げているように「声優をはじめとしたキャスト」のPRに終始しているように見え、内容や伏線に不備はあったが、スクウェア・エニックスや堀井雄二氏のメッセージが多少受け取れ、結果として『ドラクエV』の売上に大幅に貢献した『ドラゴンクエスト YOUR STORY』と比べると、ゲーム原作映画としての役目すら果たしていないようにも思える(9月の結果を待ちたいが、おそらく無理でしょう)。

二ノ国という世界を良く知るはずの人物が、ビジネスとして裾野を広げるためにどう魅せたらいいのか一番客観視できていない恐れがある。
もしそうだとしたら皮肉な事だし、周りで進言するスタッフも一人もいなかった。もしくはワンマン体制で言えなかったと思うとそれはとても孤独な王様にしか見え、かわいそうだとも思えてしまう。

僕のレビューが先行してすっかり障害者差別アニメの烙印が押されてしまってはいるが、今でも“そうではないと信じたい”と思っている。気になる人はその目で確認して自分の言葉で感想を持って欲しい。

ただ、日野さんが今後映像の仕事を続けてかつ、先陣を切って脚本や製作指揮を取られるならもう少し映画を観て脚本の書き方、演出の勉強をするべきだと思います。僕は今回の件で日野さんの「自身がプロデュースしているはずの作品への向き合い方の甘さ」「各種認識の甘さ」「考え方の甘さ」のAAA(トリプルエー)が露呈したのではないかと思います。
厳しい言い方と自覚していますが、苦手だと思うなら人に任せる勇気も経営者として必要なんじゃないでしょうか?



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