ゲーム

「電脳コイル」Blu-ray Box発売記念 磯光雄監督インタビュー

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る



2011年11月25日に発売される「電脳コイル」Blu-ray BOX。この発売を記念して、磯光雄監督に「電脳コイル」の企画のなりたちや、作品の中に投影されている磯監督の世界観についてなどなど、いろいろとお話しを伺いました。

「電脳コイル」よろしくお願いします!限定版BOXを手にする磯監督
—「電脳コイル」の企画書が販売されて、私たちも見ることができますが、企画はいつ頃から作り始めたのでしょうか。
1999年からやっていたので、地球が滅びるのが先か、これが実現するのが先か!という感じでした。が、あっさりこの企画が遅れて(笑)  翌年の4月くらいに、やっと(企画書が)まとまった感じです。
—どういうところに企画書を持って回ったのでしょうか。
いろいろな制作会社や製作会社に持ち込んだんですけど、これがいろいろとありました(笑)
—制作会社にプレゼンをした時、企画書への反応はどうでしたか?
一般的に、製作会社は徳間さんなどの出資側、制作会社は作画や演出を実行する現場側という区分けになってます。制作会社の場合は「面白いんだけどね」と最初に言われるんですが、その後に、「でも大変でしょう」と引き気味に。その一方、製作会社では「面白いです!これは是非うちでやりましょう!」という反応がほぼ全てでした。製作会社は好反応。制作会社はイマイチという感じでした。
制作会社は業態上手間のかかる作品ほど赤字が増えるんで、大変そうに見える作品は避けたがるんですよね。私は「見た目ほど大変じゃないですよ」と説明したら「あんたが監督して大変にならないわけがない」とか言われましたけど(笑)。実は、コイルは実際に物理的なコストに関しては、そんなにかかっていない方なんですよ。動画枚数とか、他のアニメよりは大分少ないんです。
今時のTVシリーズだと、1万枚くらい使ったりする作品があったりするんですが、「電脳コイル」では、最小の話数で3000枚くらい。総集編はもっと少ないです。6000枚使ったらビックリという感じです。若い頃、某大泉の制作会社でTVシリーズの原画をやってた時なんて、上限が2500枚位だったんですが、それだとほぼ止めパク芝居(キャラが止まったまま口だけ動かす芝居)ばっかりという作品になっちゃいますね。

もっと作画に力を入れている作品だと最小限でも6000枚とかありますけど。同時期に放送していたアニメの第一話で2万枚使ったという情報が入ってきて「2万枚っ!」と驚いた記憶があります。
「電脳コイル」なら、3・4本分なので(笑) でもあんまり動いて見えない。自慢ですけど、コイルでは枚数を使ってないのに、凄く動いてるように見えるってのを実現してるんですよ。でも動いて見えるので「あんなに枚数使えば動いて見えるに決まってる」みたいに言われるととても損した気分に(笑)そんな感じでやっていました。でも、なんだかんだで結構な費用がかかってしまったので、製作委員会さんには感謝しています。今回のBlu-rayでなんとかお返しできたらいいなあ。まだ迷ってるお客さんはぜひ応援のつもりでポチって下さい。(笑)
—「電脳コイル」の魅力のひとつとして、AR(拡張現実)というものがあると思います。「電脳コイル」にARを取り入れようと思ったのは何故ですか?
企画書を作っていたその当時、AR技術は知ってましたが、ARという言葉自体は流通してませんでした。最初は、魔女っ子もののリアル版をやろうと思ったんです。魔女っ子ものか、「ゲゲゲの鬼太郎」の女の子版。最初、企画書はかなりそれに近いイメージでまとめていました。向こうから来た電脳生物の”コイル”というものがいて、何か悪だくみをしていて。という。これは最近大ヒットの、某アニメにも近い設定だったりするんですけど(笑)。
ちなみに最近やってるアニメも私は普通に一視聴者として楽しんでしまうほうなんですが、最近はなんか難しい理屈で作品の是非を誘導しようとする人達がいる気がします。私はそういうのがアニメの進化だとかあまり思えなくて。よく知らないけど、別の業界の勢力争いとか気にしないで普通に作品を楽しめるのが一番だと思うんですけどね。今後アニメを取り巻く環境があまり厄介で面倒なものにならないことを祈るのみです。いろんな意見はあっていいとは思うんですけどね。

そんなくだらない話はともかく、基本は単純に子供が魔法を使える世界を作りたいなと。最初の企画書では、コマンドスティックという棒状のデバイスを持たせていました。それをクルンクルンとさせると、ARの☆がキランキランとなって。ARはそういうことが”現実”にできる技術なんですよ。早く製品化してもらって、メガビー撃ってみたいですね。
ARに関してもうひとつ重要な点は、なぜVRではなくARだったのかですね。この作品を作り始めた時点ですでに「マトリックス」はあったわけで、VRはもうみんな知ってたし真似してた。もう10年以上前になりますけど、今更VRものをやるのはそれほど意味が無い。でもARならあるなと思ってました。ARの力は一枚絵で見せられた時わかりやすいですよね。VRはただのCGにしか見えないんですけど、ARは現実の世界にCGが浮かんでいるというインパクトが最初から備わってる。その差は大きかったですね。
—作品に盛り込めなかった設定やシーンにはどのようなものがありますか?
当時は”アバター”という言葉は流通してなかったんですけど、それと同じようなものはアイディアとしては作っていました。ダイチがロボットのアバターを作って、ロボットバトルをするみたいなシーンも考えてはいました。あと電脳コイルの世界では、電脳メガネや監視カメラとか、あらゆるデバイスから現実映像を拾って、くまなく仮想空間を埋めていくというサービスをしている会社があって。みたいな設定で。そうすると遠隔でその場に飛んで行って”見る”ということもできるので、趣旨がずれるので没にしましたけど、そんなシーンを作ってみたことはありました。これって今考えるとgoogleストリートビューですよね。あとは電脳メガネって重い処理はやらずに入力と出力だけ通信でつないで、処理はネット上のサーバーがやるとか、これはクラウドですよ。ああ特許申請しとけばよかったなあと(笑)。まあそのへんは設定ベースでは盛り込んではいるんですけど。他にも、壁の塗装が中継アンテナになってるとか、人体を通信ケーブルにするとか設定ではそれなりにやってます。

ストーリー的に変ったということでは、ミチコさんというキャラですね。最初はミチコさんは実在するキャラとして出るはずだったんです。後半のイサコの役割は、企画書ではミチコさんが負って、イサコは途中で金沢に帰ってしまうという(笑) そういう流れだったんですけど、この2人を合体させて一つのキャラにしたのが、今のイサコです。
実はミチコさんは元々、自分の別の企画で出てきた道案内のミチコというキャラクターを転用しています。行く先は仮想空間ではなくパラレルワールドなんですけど。この脚本はコイルのだいぶ前にガイナックスの貞本さんと鶴巻さんには見せてましたけど企画が没になっちゃって。
—制作がスタートしてから実際に修正しなくてはいけなかった点はありますか。
求められた修正とかはあまりなくて、どちらかというと自粛のほうが多かったですね(笑)
—自粛ですか。
最初の設定の中に、“電脳ブリーフ“というのがありまして(笑) 四次元ポケットみたいな位置に、手が突っ込める場所があって。この奥が異世界になっているという(笑) この中を、ある日、ガバっと開けるとメーテルの服の中みたいに宇宙が広がっているみたいな(笑) そういうのもあったんですが、勝手に自粛したら徳間の担当の方に「騙された!」って。今も言われます。
—担当者の方は、それを楽しみしていたんですね(笑)
どちらかというと、止める側なんですけど(笑)
—それは見たかったですね(笑) しかも、NHK。
そうですね(笑)そんなモノを NHKで流すという快挙を(笑)。詳しくは「電脳コイル企画書」にあるので興味ある人は読んで下さい。
—妖怪や魔法、そういったものは子供の頃から好きだったのでしょうか?
それは、ほぼ生まれた時から好きですね(笑) 幸せな子供時代を送ってない人にそういう人は多いんじゃないですか。TVにも、かつては何か異質なものと接しているような、異界をつなぐ窓のような、そういう影のような側面がありましたね。最近のTVには、それがなくなってしまいましたけど。今はどうでもいい日常を量産して浴びせかけるメディアになってしまいましたね。

—監督が意味する”異界”とはどのようなものを指すのでしょうか。
日本人にとっての宗教観とは何だろうというのは、長年、私にとって疑問だったんです。宗教の定義にもよると思いますけど、皮膚感覚的に多分仏教じゃないだろと。神道はかなり近いと思うんですけど、多分それ以前から日本に住んでる人々が元々持っている宗教観と言えるもの、それが”異界観”じゃないかと。それを「電脳コイル」で多少やりました。日本人の持っている異界観は、根の国とか、幽世(かくりよ)とか、常世(とこよ)の国とか。常世は海の向こう側なんだけど、地続きの所に死者の国というか異界があると。それは死者が往く国ではあるけれども、どうも純粋に死後の世界でもないんですよ。日本以外でもそういうものはないわけではないけど、日本人の心の奥底に根ざす部分、古くから日本人が持っている宗教観は異界観だなという事を薄々感じていたので、そういったものが最先端の仮想空間の中に発生した、みたいな状況は、自分的にはすごく描きたかった部分ですね。
西洋的なカッコイイ最先端とかはあまりやりたくないんですよ。そういう方が絶対売れるんでしょうけど。仮想空間も普通にかっこよく作れば「.hack」みたいになるのかもしれないですけど。あ、一応これは言っておきたいんですけど、「.hack」の前からこの「電脳コイル」の企画書はありました。途中で意識不明になって出て来れないとか、この手のネタはまあよくある定番のアイディアなんで被ってますが、先にやられちゃったなあと。

—作品の中に駄菓子屋が登場しますが、それもその感覚の一端なのでしょうか。
駄菓子屋もそうですけど、ひとつ言えることは”遍在”しているという感覚です。路地もそうだけど、駄菓子屋の中って異界観が遍在しているでしょ。そこかしこにある感じ。フラっと迷い込める位置に常にある。「電脳コイル」をやっていた時は、”混在”という言葉が好きで使っていました。混在という言葉が一般で使われる時は、あまり情緒のない言葉だと思われるんですが、考えた末にたどり着いたのは言葉は混在でした。原理とか、存在理由とか、向いている方向とかが違うものが、同時にある空間にある。という状態なんです。共在とか、遍在とかいう言葉が使われたりするんですが、私の場合は混在が一番近いなと思いました。
—藤子不二雄さんの作品。例えば「ドラえもん」等は好きですか?
「ドラえもん」の漫画は持っていないんですけども、もちろん読んでました。ただ、自分はドラえもんの世界には住んでいないな。というのは分かりました。

—それはどういう意味でしょうか。
一度、電脳ペットを喋らせようとしたんです。でも、ペットが喋り出して、その人格の話を語りだすと、ヤサコとイサコの話になっていかないというのが分かったので、途中で止めて。引き返して。ヤサコの側の話にしました。それが、24話の”胸の痛み”というシーンですね。そこになっていったんです。喋らせる、喋らせないかという葛藤をした時、喋らせようとしたら、なんというか、もう、“いなかったんです”。
—それはつまり。
つまり、ドラえもんとか、オバQは、自分の傍らにはいなかったんです。喋らせるためには、自分の中に(それが)”いない”と駄目なんです。(自分の)中にいるから、それが喋ったものを書きとめることができるんです。ところが、喋らせようにも、自分の中に(彼らは)いなかったんですよね。
ドラえもんとかは読んで育ったし、普通に感動もしましたけど、自分の中にそういうキャラクターの居場所、配置が無かったんです。元々いなかったのか、いなくなったのか。これは、どういうことだろうと。長らく非常に混乱してですね。その末、結局、喋らせることができないので、自分の外側にいる存在にしたんです。それがイリーガルです。
—イリーガルは、何かをボソボソと喋っていますが、あれはどのような解釈なのでしょうか。
あれは、”自分の中”の言葉を喋っているのではなくて、何かを言っているという出来事を書いているだけです。それが、何かを喋ってる場面も、結局は、カンナになって喋ったりとか、自分の中にいる何者かの言葉をセリフとして書いているだけです。イリーガルが、本当は何を喋っていたのか、私にも分かりません。お話を作ってる人は、概ね今の話は分かると思います。その時に、私は、藤子物は作れないんだなと。

—企画書の話に戻りますが、企画書を見せた時に、周囲から難解だと思われたりしたことはありましたか?
それは無かったです。完全に理系に関心のない人に見せても大丈夫なことをしつこく確認していました。最初から、スタート位置はあくまで魔法が使える時代が来ましたという。人間が魔法を使えるようになるアイテムが発明されましたというだけなんです。企画書にもある、「おバケが見えるメガネ発売」てやつも同じ意味ですね。なので、ARを題材に一本つくろう、が出発点じゃないんです。でも、それはどういう仕組みなんですか?と説明を求められた時に「それはAR技術によって映像だけできるようになりました」ということならできるなと。
でも、“触った感触が無い“という問題はありました。放送後に、感触も再現できますという研究者の方もいましたけど、当時はそこまでのものは無くて。あったかもしれないですけど、紹介されていなかった。仮想現実ものはいつもそこがネックで。触覚の部分だけが説明ないまま「できます」みたいな作品も多くて、一応パワーグローブとか設定した時期もあったんだけど、あまりそういうことをやる気がなかった。逆にそこを逆手にとって「できない」ことをテーマに含めていこうと。見えるのに感触は無い。すぐ近くにいるのに触れない。これが、先程の異界の話に少し近くて、存在を感じているのに、触って確かめられない。だけど、そういう感覚というのは、自分の中にも、日本人の中にも、常にあると。それが、異界の感覚にちょっと似ていると。
24話で母親が「メガネはもうやめなさい。手で触れられるもの、温かいものが本当のものなのよ」と説得しますが、あれは、多くの方が気付いているように、わざとああいう風に言わせています。母親を悪者にしないために言っておくと、あの人は一生懸命考えた末に、ああやって子供を説得しようと思ったと。そういう意図で書いています。手で触れられない大事なことも”ある”のを、あの人も当然知っているんだけれども、一回、子供時代に、こういう(事件)があったら、本当に”ある”ということを忘れちゃ駄目なのよ。ということを、叩きこんでおかないと将来大変だろうと思って、敢えて言った。作者の言いたいことを代弁させたシーンではなくて、あの母親の人が一生懸命そうした、それを描写したというシーンにしてあります。
ただ、母親すら、その時のヤサコすら予想していなかった結末にたどり着くのは、手で触れるもの、温かいもの。それがデンスケだった。それは、”本来感触がない”という前提がないとできないことなんです。

—1話から電脳ペットに触れない。という演出はありましたね。
テーマ的にその方向は決まっていたので、強調するためにそういったシーンを入れてあります。先程も言いましたけど、後で研究者の方から、悔しそうに「触れるデバイスもあるんですよ!」と言ってくださった方がいたんですが、「そういう理由で扱う技術をチョイスしてる訳じゃないんです」と言うしかなくて。そのテーマで研究してる方にはほんと申し訳ないんですけど、そこは、本職の技術屋さんと、面白いかどうかだけで決める私との立ち位置の違いなんですが。一応フォローしておくと、触覚も今後ARで重要な発展を遂げる可能性の高い分野ですよ。

—メインストーリーは別として、12話の「ダイチ、発毛ス」が個人的に大好きなんですが、笑いの演出も得意なんでしょうか。
いえ。笑いは、自分には絶対できないと思っていたんですよ。なんとかうまくいったかな?という感じです。もともと、どシリアスのほうが地盤なので、ギャグ演出をやるのにすごく苦手意識があるので、苦手な方から先に潰したいというのがあって。女の子が主人公というのも実は苦手で、それなのに最初の作品で女の子が主人公って、(私は)女の子じゃないので(笑) よくわからないままやっている所もあるんですけど。それも最初に潰しておこうというのがありました。
—今回のBD BOXでは、画がリテイクされているということですが。
一番大規模にやっているのは第20話です。カッティングと、アフレコと、ダビングという作業があるんですが、20話は、この作業全てに私が参加できなかった回なのでものすごく心残りで。他の話は、最低でもそのどれかひとつの作業に参加しているんですが。今回のBD化にあたって、この回だけは特にリテイクしたいと希望しました。でも、思いっきりやったら「予算オーバーです」と。「そんなにやるとは思わなかった」と言われましたけど(笑)
—では最後に、今回のBD-BOXでここは見て欲しい!というところと、ファンの皆さんにメッセージをお願いします。
見所は全部です!よろしくお願いします。
—ありがとうございました。
完全受注生産商品 電脳コイル Blu-ray Disc Box Director’s Edition
10月11日正午まで、「.ANIME」にて予約受付中!
http://www.dot-anime.com/

価格:39,900円(税込)
収録時間1047分(予定)
DTS-HD master audio (5.1ch)・リニアPCM(stereo)/AVC/BD50G×6枚組
16:9<1080p High Definition>一部<1080i High Definition>
Director’s Editionのみの特典
1 NHK特番「電脳コイルSP」
2 パイロットPV(TAF版)
3 NHK特番「電脳コイル自由研究」
4 NHK特番「電脳コイル総復習」
5 DVD特典「電脳コイルができるまで」
※1,2は初パッケージ化
電脳コイル Blu-ray Disc Box 通常版
発売日:2011/11/25

価格:38,850(税込)
収録時間:864分(予定)
DTS-HD Master Audio(5.1ch)・リニアPCM(ステレオ)/AVC/BD50G×5枚
16:9<1080p High Definition>・一部16:9<1080i High Definition>
(C) 磯 光雄/徳間書店・電脳コイル製作委員会

登録すると試写会チケット 情報がやたら貰えるかも!

コメントを残す


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください