9月22日全国公開 映画『ジョン・ウィック:コンセクエンス』チャド・スタエルスキ監督インタビュー

 

【以下プレスリリース文掲載】

 

9月22日に全国公開されるキアヌ・リーブス主演映画『ジョン・ウィック:コンセクエンス』。今回公開に先立って本作並びにシリーズの監督を務めたチャド・スタエルスキが来日して合同インタビューに応じた。

 

【インタビュー・文 畑史進】

 

 

—物語を生むときには生み出す苦しみというのがあると思うのですが、今作はどのような感じだったのでしょうか?

 

チャド:映画を作るというのは大変なお金がかかる一方で、シリーズ作品は作るごとに楽になっているのではないかと思う人もいます。私も最初はそんなふうなことを考えていましたが、経験ある方からドンドン大変になっていくよと言われてから本当にそうだなと思うようになりました。

映画に対して求めるものがあった場合、そこに対してお金と時間をかけて自分がどれだけ苦しむ準備ができているのかが大事です。

今回の凱旋門のシーンでは大量の車を使っていましたが、お金はもちろんプランニングからデザインまで4ヶ月の時間がかかってしまいました。スタントチームも5カ国から参加しているのでその分、お金を使えば他のところで省略をしなければいけないです。犬を使うとなると1年はトレーニングをしなければなりません。

映画の制作では生み出すための痛みや苦しみが無ければ最後まで作れない。発狂して苦しんでそれがクリエイティブだと思います。私の父親は大工で私も柔道を始めとした武術を沢山やってきました。それら全てに共通することですが生み出し、結果を出すまでの過程は食生活やトレーニング全て含めて鍛錬だと思います。それをしっかりしないと試合では勝てないわけで、クリエイティブに繋がっていると思います。

 

フランチャイズを長く続けている映画で、これは「どうなの?」と思う映画って色々あるかと思います。それは作り手がフォーマットをわかった気持ちになっていることにもよると思います。キアヌには山のように大きな夢があり、その山を登る覚悟があって、さらに乗り越える辛さを生みの苦しみという気持ちで愛せる人なんです。

その日の朝に「今日は一日大変な日になる」と分かっていても朝目覚めることができる、なかなかそんな人は多くないと思います。これはキアヌだけでなく、『ジョン・ウィック』に関わる人、全員に言えることです。ちょっとした恐怖が物作りにつきまとい、キアヌはそれを抱きしめて受け入れることができる人なんです。

 

自分にとって映画を作るにあたって正しい人選をするのも重要なことです。今作では最初の1年目は苦しかったですね。タイトルは決まっていても、ジョンの対戦相手が中々出てきませんでした。そんな中でアイディアが出てきて、それが成長していって自分のスタッフを心から信頼して託しながら一緒に苦しみながら作りました。

 

—今作はランス・レディックさんにとって哀悼の意を示す映画にもなっていると思います。が、彼の観た映像と完パケ映像で違いはあったのでしょうか?また、今作は急逝したことを知っていることで象徴的に感じるセリフもありましたが監督はどのようにお考えですか?

 

チャド:映像は殆ど変わっていません。『ジョン・ウィック』の1作目の台本を読んだとき、ほとんどの人は「犬のために80人を殺す。なんだコレ?」といった反応でした。今だったら現代のアートや映像でそういう世界観なんだって分かるので伝わりますが、絵とか映像も無く文字だけで追うと分かりにくい脚本でした。

 

私は頭の中でギリシャ神話を思い浮かべながら物語を構築していきました。だけどそれを話してもほとんどの人はピンときていなくて、キアヌでさえなんとなく理解できる程度。ですがランスだけはフェイスタイムで話したときに速理解してくれました。「これは『オデュッセイア』『ロード・オブ・ザ・リング』のようなファンタジー映画なんだ。主人公が家に戻ろうとするとダンテの神曲のように戻れない」と話したらすぐに理解してくれました。

ランスの役回りは日本で言うところの「三途の川の渡し船の船頭」みたいなものですが、交渉役も担うとても魅力的なキャラクターだと思います。今作の『ジョン・ウィック』は今まで行ってきたことへの「贖罪」がテーマになっていて、それを受け入れて、ある種それに対して責任を持つということで、ランス演じるシャロンは亡くならなければなりません。今作の脚本を渡したときも彼自身、死んでしまうのは悲しいけど理解を示してくれました。

ランスは60歳でしたが、とても健康的で、亡くなる2週間前にロスでも会っていましたが至って元気でしたね。それ故に彼がこの世を去ったときにはとても悲しかったです。もし映画の完パケ映像で何か変えていたら彼は怒っていたと思います。ただ、彼はこの世を去った今、よりパワフルなものになっているのではないかと正直なところ感じています。

 

彼の死はとても刹那的なもので、それは日本の文化でも通じるところはあると思います。僕自身日本の「物の哀れ」や「渋み」といった哲学から影響は受けていて、そこを感じることもありました。実はこのタイトルは「葉隠れ」という仮タイトルで進めていたんですが、マーケティングの観点から外しました。葉隠れというのは侍同士の間にある掟を表現したいという意図があり、キアヌと話したときに「違う立場でもお互いが同じ掟を重んじている」という物語にしたいということから来ていました。

 

 

—チャド監督はキックボクシングからジークンドーなど多くの武術を体得されていますが、こうしたあなたのキャリアと『ジョン・ウィック』のようなスペツナズ仕込みのサイレントキルと銃撃をどのように組み合わせて演出プランを考えているのか教えていただけますか?

 

チャド:マーシャルアーツのような格闘技とスタントのコレオグラフィーは別物で、格闘技は相手を倒しますが、コレオグラフィーは相手を助け支え合うことを考えています。

私は凄く踊りというものに興味を持っています。踊りたいということではなく、映画に役立つからで、ニューヨーク・シティ・バレエに何ヶ月もトレーニングの様子を見に行ったり、マーシャルアーツの達人のトレーニングも見に行き学びました。凄いスタントマンは何が優れているのかと言うと記憶力です。

例えば通常のスタントマンが5手動きを覚えていたら、バレリーナの方は2時間の踊りを全部覚えている。僕らはスタントのチームはダンサーのようなトレーニングに臨みます。タップダンスでもジャズでもなんでも良いんですが、音楽が鳴り出したら体が勝手に動き出す。『ジョン・ウィック』はとてもバレエのような戦い方をしていれば、カンフーの動きでタップとかジャズのようなダンスが入ったりと、その中にサンボや柔術なども取り入れています。全てに共通するのはリズムが大事だということです。

次に大切なのがサウンドエフェクトで、映画中では同じ音は二度と使っていません。シーンによって銃や投擲する斧やショットガンの音、それぞれ武器も違うし、エフェクトや画面に合わせたパンチの音も全然違います。これが3時間同じだったら観客は飽きます。サイレントの部分と音の鳴る物を一つの映画に組み合わせる際に大事な演出というのはリズムで、観ていると人々がどう反応するかということを考えています。

 

ジムで何度かトレーニングを合わせて、これで行けると確信しても現場に入ると環境が変わるのでちょっと違うなと感じたり、キアヌにとってハマらなかったりする。そこでちょっと違うことを試みると映像でハマったりする。そういった意味でコレオグラフィーは色々とプランニングしますが、現場という生物の環境で有機的に変わっていくのでこの映画はダンス的なものだと思っています。

 

 

監督:チャド・スタエルスキ

出演:キアヌ・リーブス ドニー・イェン ビル・スカルスガルド ローレンス・フィッシュバーン 真田広之 リナ・サワヤマ ほか

配給:ポニーキャニオン

 

原題:JOHN WICK:CHAPTER4(2023/アメリカ)

 

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