ファンとのコミュニケーションから生まれた「小説 言の葉の庭」 新海誠インタビュー


2013年5月に公開され、ファンを魅了した映画『言の葉の庭』。そして、2014年4月。ファン待望の小説版が発売されました。今回、エンタジャムでは映画版の監督であり、小説版の作者でもある新海誠さんに作品についてお話を伺いました。

—映画版の『言の葉の庭』で描き切った感があるのですが、「小説 言の葉の庭」を書いたのは何か補足をしたかったからなのでしょうか?

小説版で補足しようということではないんです。もともと映画の公開と同時に小説版を書きたいという話をしていましたので。『言の葉の庭』の内容自体が小説向きでしたし、自分で何か書けるのではないかという感覚がありました。最初は前後編くらいの短編のつもりで考えていたんですが、連載を始めるにあたって構想を立て直したら長編小説とよべるような分量になってしまいました。

—何がそこまで筆を奔らせてしまったのでしょうか?

映画をご覧になった観客のみなさんとのコミュニケーションの結果ですね。映画は46分という時間ですべて語り尽くしていると思いますし、今までの作品の中でも一番よくできていると思っています。でも、いざ映画を公開してみると、雪野や孝雄と自分の人生を重ねて、作り手よりも遥かに感情移入をした方々からのお手紙をいただたり、様々な感想を目の当たりにしました。そんな中で、雪野先生をイジメていた悪役として映画に登場する相澤さんというキャラクターへの感想で、彼女が嫌いだというストレートなコメントもありました。そういう感想を目にして、ちょっと申し訳ない気持ちになりました。一見、悪役に見える人でも、まったくの悪人ということではないでしょうから、嫌いという印象だけを持たれてしまうことに、何か責任を感じてしまうんですね。きっとこの子はそうせざるえなかった理由があったんだろうと。みなさんからの真剣な感想を受け止めているうちに、映画では描かなかったもうひとつのストーリーを描きたいなという思いが、自分の中に募ってきて小説では長編になってしまいました。

—『秒速5センチメートル』の小説版の時はどうだったのでしょうか。

『秒速5センチメートル』は今でも鬱アニメといわれることがあるんですが(笑) 誰かを励まそうと思って作った作品なんです。もちろん励まされたという方もいらっしゃったんですが、本当に落ち込みましたという方もいて(笑) 自分がお客さんに伝わってほしい意図とまったく違う方向に受け取られてしまうということを強烈に経験しました。そう思われてしまったのは、まずば単純に僕の技術不足の問題だと思うんです。それがあってショックを受けた人に対して説明してあげなくてはいけないという気持ちも生じて『秒速5センチメートル』の小説を書いたところもありました。「小説 言の葉の庭」ではそういった思いはないですね。

—小説版を書くにあたって、どのような描写を心がけたのでしょうか?

文章にしかできないことをしようと思いました。映像と違って小説であれば、たとえば心情描写の解像度をどこまでも高めて描くことが出来る。たとえば「美しい映像」には限界がありますが、文字表現ならば映画以上に美しい情景を読者に想像してもらうことも出来るかもしれない。そんなことを目標にしようと思ったんです。また、登場人物をより掘り下げたいとも思いました。たとえば映画の中でキャラクターがしゃべっているセリフは、ストーリー上の要請だったりとか、「この人はこういうことを言いそうだな」という、いわば感覚、直感で書いていたりするところもあるんです。小説では、その直感を具体的な出来事まで掘り下げました。「過去のこういう出来事が、このキャラクターにこのセリフを言わせたのだ」というところまで描こうと。そういうことを積み重ねることで、すでに映画をご覧になった方にも純粋に小説として楽しかったと言っていただけるものにしたかったんです。

—小説版にはオリジナルキャラとして雪野先生の恩師がでてきますが、こういった設定やキャラクターは映画版の制作時から考えていたものだったのでしょうか?

映画の時は考えていなかったです。映画版の中で雪野先生が言った「どうせ人間なんて、みんなどっかちょっとずつおかしんだから」というセリフ。あのセリフを雪野に言わせた出来事はなんだろうと考えていったときに、陽菜子先生という雪野の恩師の存在が自然に出てきた、という感じですね。

—小説版では、雪野と孝雄以外に、周囲の登場人物の目線でも物語が語られていきますが、これはどういった意図でしょうか。

人物を相対化して見せるようなものにしたいと思ったんです。映画では孝雄と雪野しかスポットをあてていないけれど、他の人物から見た二人は、また別の姿に見えたりするわけです。アニメの登場人物って、悪役とかヒロインとかシンプルな役割を与えらえてしまうことが多いですけど、現実ではそうじゃないですよね。若い観客の方にも、人物というものを相対的に見てほしいという気持ちはありますね。『言の葉の庭』でいうと、特に相澤さんとか雪野先生と付き合っていたであろう伊藤先生とか、他の視点から見たときに違う姿に見えるということに、若い観客に気づいてもらえたら嬉しいです。

—『星を追うこども』『言の葉の庭』。そして「小説 言の葉の庭」を読むと、いままでは物語の主人公の目線で語られてきたものが、周囲からみた主人公たち、もしくは親のような目線へと変化していていると思いますがいかがでしょうか。

『言の葉の庭』は、雪野さんと孝雄を描いた作品なんですが、その裏に社会を背負った話でもあるんです。年齢が12歳違うということは社会的な立場も違うし、特に雪野さんが背負っている社会というのは重要な一要素だと思います。そういう後ろにあるものを描くようになってきたという意味では、親の目線が入ってきたということかもしれません。自分自身の変化でもあるでしょうし、集団制作をするようになって描けることが増えたということもありますね。最初の作品である『ほしのこえ』では一人で作っていましたから、メインのストーリー以外を描く余裕がなかったんです(笑) それと、観客のみなさんの変化もありますよね。デビュー当時から応援してくれるみなさんも、家庭を持ったり、仕事で役職についたりして、家族の話や会社の話をするようになったり、俯瞰してみると大きな流れみたいなものはあるのかもしれません。

—雪野が孝雄に足を見せるシーンが映画版とはまた違った感じで官能的に描かれていて、ちょっとドキドキしてしまいました。雪野が足を孝雄にみせながら「昨日、かかとを磨いてきてよかった」って心の中で思う描写とか(笑)

ありがとうございます(笑) そういう描写の幅も広げられたらとは思っています。

—ある程度親しい仲になっているとはいえ、女性が男性に足を見せるというシーンはある意味衝撃的でした。

映画を作る時にもいろんな女性に聞てみたんですが、見せられないという方が多かったんです。でも、僕は見せられる人もきっといると信じて、その後もいろいろな方に質問していたら「私は平気です」という返事をした女性もいて、ほらいるじゃないかと(笑) フィクションなので100%現実味をもたせる必要もないんですけど、雪野さんの化粧であったり、足のケアについてだとか、いろんな人に話を聞きながら、ある程度の説得力をもたせるようにはしています。いつもそうなんですけど、制作が始まる前はいろんな方に話を聞きます。

—作品を見ていると1960~70年代のフランス映画っぽい感じもするのですが、フランス映画はご覧になるのでしょうか?

全く観ません(笑)でもフランス映画に限らず、日本の作品でも谷崎潤一郎とかフェティッシュなものはたくさんありますよね。足が好きというのも、わりと普遍的な嗜好でしょうし(笑)
ハイヒールなんかは女性の足の魅力をどう際立たせるかという靴ですから。

—「小説 言の葉の庭」には、雪野さんのほかにも魅力的な女性が登場しますが、これは新海監督の好みが投影されているのですか?

(笑) もちろん魅力的に描きたいと思っています。でも雪野さんは実際にいたらちょっと大変そうな人だと思いますね(笑)友達として楽しく飲めるというタイプではないかもしれない。でも、人のそういう陰のような部分に惹かれてしまう、というのは男女問わずわりとあるんじゃないでしょうか。

—同じものを見ていても女性と男性で実は見ているものや感じているものが違っていたというのが、新海誠作品の魅力のひとつだと思うのですが、そういったアイディアは新海監督の経験に基づいていたりするのでしょうか。

同じ出来事でも、観察する人が違えば意味が違ってくるというのは普遍的なテーマだと思います。日常生活の中で頻繁に感じることでもあるし、自分が大事に思っていた思い出が、相手にとってそんなに重要じゃなかったとしたらすごいショックじゃないですか。でも、そういうことは誰しもよくあることなので、経験から来ているのかという意味では、そういう部分はあると思います。

—新海監督といえば恋愛映画ですが、作品を創作するにあたって人から恋愛話を聞いたりとかはされるんでしょうか?

しますね(笑) ネタの収集ということではないんですが、よくお話を聞いたりしますね。飲みに行って、どういう人が好きなのかとか(笑)

—中・高校生にも話を聞いたりとかも?

『言の葉の庭』では、高校生の女の子に話を聞いたりもしましたね。でも、一番大きかったのはファンの方からのお手紙とかメールですね。そういったお便りを読んで思うのは、ほんとうに真面目な方が多いなということと、なんて世の中には悩みが多いんだろうと(笑) そういうものがヒントになっていたりしますね。

—愛とか絆について描くことについてどう思いますか?

愛があるというよりは、愛があると思いたいと。あるに違いないと信じている人たちを描いていると思います。ゆるぎないものを手にしている人物というのは、自分の実感としてうまく描けないんです。自分でもあるような気もするし、あって欲しいとも願っているけれども、やっぱり自信もないし、不安になることも多いんですよね。強く感じられる時もあるし、そこまで強固なものと感じられない時もある。でも、強固な愛なんて存在しないとしたらそれはそれでキツ過ぎる。そういった気持ちは、愛を一生懸命に探している人や、あるんじゃないかと思い込もうとしている人も共感すると思います。ですから、そういう人を描くし、これからも描いてきたいと思います。

—新海監督の作品では今はもう会うことができない初恋の人とか、届かない想いが描かれることが多いですが、昔の想い人に惹かれる、引きずってしまうことについてどう思いますか?

今回は小説版の伊藤先生のセリフに託しているところがありますね。小説版では孝雄と雪野さんのその後が少し描かれていますけど、あの二人にしても、あの後結婚して幸せになるのかというと、そんなに簡単にはいかないでしょうね。

—昔の恋人に連絡して会ったりすることをどう思いますか?

いいと思いますよ(笑) 60歳くらいに再会してまた始まることもあると思うんですよ。僕はそれはそれで素敵な話だと思います。

—新海監督は好きだった人に連絡して会ったこととかありますか?

まあ、なくはないですね(笑)そういえば何年か前、仕事で故郷に帰った時に同級生が飲み会を開いてくれて、そこに昔すごく好きだった女の子がいたことがあったんです。その時に、彼女が最近結婚して妊娠したという話を直接聞いて、ああ、自分の青年期は終わったなと思いました(笑)

—少年少女の恋愛を描くことが多いですが、今後、大人の恋愛を描くことに興味はありますか?

弘兼憲史さんの『黄昏流星群』という漫画があって、中高年のピュアな恋愛だったり、ドロドロした恋愛だったりが描かれているんですけども、そういうものがいつか作れたらなとは思っています。でも、アニメーションの観客は比較的若い方が多いんです。中学生や高校生に見せたいものと、自分の世代以上の方に見せたいものとは、やはり違うものになりますよね。いま、どちらにむけて作品を作りたいかというと、若い人に向けたものなんです。『言の葉の庭』はちょっと大人っぽい内容だとは思うんですけども、たぶん、高校生ぐらいの方が読んでも、孝雄くんという存在がいるので、それなりに楽しめるものになっていると思います。将来的には『黄昏流星群』みたいな40歳以上の方が楽しめる大人向けの作品にも挑戦できたらいいなと思います。

—ありがとうございました。

「小説 言の葉の庭」発売中
定価:1500円(税別)KADOKAWA
メディアファクトリー刊
https://ddnavi.com/news/158839/a/

   

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