【連載コラム】畑史進の「わしは人生最後に何をみる?」 第16回 ディズニー作品をホラー調にアレンジされました?『バイオハザード ヴィレッジ』徹底レビュー 

 

【文・畑史進(編集長Twitter):https://twitter.com/cefca_vader?lang=ja

 

暑い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか?編集長の畑です。

最近、『バイオハザード ヴィレッジ』を頑張ってライトセーバーまで出して、最高難易度の「Village of Shadows」も3時間以内にクリアできたんで忘れないうちに、備忘録としてレビューでもと思い、重い腰を上げました。

 

早速だけど、普通ゲームってスルメじゃないけど、噛めば噛むほど美味しくなる、やればやるほど面白さが増していくのが普通なんだけど、端的に言ってこのゲームはその真逆を行ってるんですわ。

こう聞くと「面白くないんか?!」って思ってしまうかもしれないけど、決してそうじゃないのよ。

なんというか、初プレイ時にクリアしたときには「まぁこんなものか」ってそれなりに「楽しかったかな」と思うんだけど、やり込むほどに改善できそうなゲームの粗が目立ってきて「なんだかなぁ・・・」という心持ちになるわけ。

全体的にゲームの方向性がまとまってなくて「やりたいことを詰められるだけ詰め込んだ結果、とっちらかりました」感が否めない。これがあって正直に話すと、今の所、あの『GAIDEN』を通り越して『バイオハザード6』(以降、ナンバリング、サブタイトルで表記)よりもゲームとしての面白さ、気概が感じられない。

というわけでグダグダ不満を並べるのも気が重くなるんでちゃっちゃとレビューをしていこうと思う。その前に、一人称視点の『バイオハザード』について少し紹介。

 

■『P.T.』が時代を変え、それに呼応したかのようにう復活した『バイオハザード』シリーズ

 

今作の主人公はイーサン・ウィンターズ。『7 レシデントイービル』からの続投で、前作同様に一人称視点のホラーアクション作品となってる。前作は一人称視点のポテンシャルを完全に引き出したホラー演出が素晴らしく、文句なしの出来で、追加コンテンツが確か2種類出たけど、そこに対して喜んでお金をぶち込みたくなるようなクオリティ高い作品だった。

 

 

それまで『バイオハザード』シリーズ自体、『4』のアクション路線が長く続きすぎたこともあって、プレイヤーが一方的にゾンビ、クリーチャーを蹂躙できるゲーム性に「またか」「飽き飽きした」という声も少なからずあって、とりあえず『バイオハザード』の新作として惰性で買ってプレイしたわけで、開発側もそれを分かってか、少し趣の違う『リベレーションズ』シリーズを展開したりと、試行錯誤の時代だった。ただ、決して面白くないというわけではなく、ゲームとして一定のクオリティは叩き出しているわけで、一応、ホラー初心者から、バイオ熟練者まで満足行く内容だった。要はマンネリしていた。

 

ある時、KONAMIから小島秀夫が手掛けた『P.T.』が、ホラーゲームの世界を一変させた。

不気味な一軒家の廊下を一人称視点でひたすらぐるぐる回りながら謎解きをしつつ、ゲームクリアに至るまでの答えが不明確な体の芯まで凍えるようなゲームをクリアした先に出てきた『SILENT HILL』文字に戦慄したのは僕だけじゃないはず。

 

 

 

その影響が直接あったかどうかはわからないけど、『7』一人称視点を採用し、原点である『1』に準じた化け物の巣食う洋館脱出をテーマにした。これは結果として大当たりとなって、キャッチコピー「そこを歩く恐怖」の「ホラーのバイオ」の完全復活を遂げた。その後は「RE ENGINE」を使った『2』『3』のリメイクに着手して多くの人が待ち臨んだ三人称視点、TPSゲームに作り変えて、『バイオハザード』ブランドへの信頼を勝ち取った。

 

やや、アクションバイオに戻りつつあった昨今、『7』のような一人称ホラーを臨んでいる層にとって、昨年発表された本作のPVはかなりの衝撃だったし、僕もその一人で、ようやく「体の芯から怖くなるバイオ」の続きが遊べると期待していた。

そうは言っても今作は『4』を意識した「恐怖の村からの脱出」がテーマで、アクションも前作のような「逃げる」「撃つ」を少し発展させたアクションよりの内容になっているとも言われていたので、「一人称視点のアクションバイオ」として期待が寄せられていた。

 

が、その蓋を開けると「なんか違う・・・」というものがそこにはあった。

 

言葉にも文字にもしづらい「違和感」の正体

 

最初に言ったように、全体を通して物凄く駄目なゲームということは決してない。2021年の一人称視点のアクションゲームとしては十分クオリティは高いし、ガンシューティングゲームとしても面白く出来ている。所見のストーリークリアした段階では「楽しめた」という感想は出た。だけど、「ホラーゲームの金字塔、『バイオハザード』としてはかなり微妙」という感じがする。逆に『バイオハザード』という冠がなかったら見向きされるか怪しい。

今作久しぶりの復活を果たした「ゾンビ狩りゲーム」の『マーセナリーズ』はハイスコアを目指すのに楽しめた。だけど、問題点を看過できるような面白さを持っているかとなるとそれは別。

 

問題点としては、大きく3つ。

 

  1. ガンアクションゲームを目指しているはずなのに、アクションが中途半端
  2. 結局何を目的にゲームを構成したのか不透明
  3. 宣伝戦略の悪さがゲームのストーリーを損ねた

 

ゲーム全体を通して、前作の『7』では、恐怖への煽りとして弾薬の数がかなり限られていたのに対して、本作『ヴィレッジ』は弾薬がかなり多めに用意されてる。これは昔ながらの『バイオハザード』の恐怖の感情を掻き立てる手法だったわけだけど、『4』以降のアクション性が強い作品は弾薬が少ないことへの恐怖心は薄れてしまう。そうなると、別のアプローチから恐怖を演出することになるわけだけど、これはかなりの手腕が問われる。

ただ、『4』の場合はクリーチャーの造形が大変おぞましい上に、どんなに残弾数を有していても一撃で葬り去られる危険が隣り合わせで、どんなに操作性が快適で、プレイヤーの操作キャラの体術が一方的なまでに強くても痛ましい死の演出の恐怖がついて回っていた。そしてクリア後のエンディングでは作品で以下に村の住人がプラーガ(寄生虫)に侵食され、恐怖の村へと変貌したかというあらましが絵本テイストで明かされ、クリアの爽快感とは逆に釈然としない尾を引くような心持ちにさせるメンタルに攻めてくるホラーとなっていた。

 

以降続く「アクションバイオ」はプレイヤーに有利なアクションを提供しつつ、プレイヤー側に有利にならない程度に敵クリーチャーの強化をはかりつつ、プレイヤーの恐怖を煽り、掻き立てることへのチャレンジを続けてきた。その一方、ジルやクリス、レオンのようにヒーロー化していき、強化せざるを得ないプレイヤーキャラのバランスを取る苦労は想像を絶するものだったと思う。それでいて、シリーズ作品につきまとうマンネリ化と向き合うのだからスタッフの気苦労もなんとなく察することができる。

 

今作の主人公イーサンは、シリーズ全体を通してみると、アクションが不得意なキャラクターだと言える。『7』ではシリーズでも珍しい防御態勢を取るキャラで、防御に成功するとモールデッド(ゾンビのようなもん)から受けるダメージを緩和する。『7』はいつどこで敵が現れるかわからないことに加えて、遭遇して戦おうものなら死は必須のファミパン親父こと、ジャック・ベイカーの追跡という危険が恐怖の根幹でもあったけど、イーサンが受けるダメージも一人称視点でプレイヤーに直接伝わることから「ダメージを受ける恐怖」「ダメージが残っている恐怖」が恐怖のテーマとなってゲームをより盛り上げた。イーサンが防御態勢を崩されて、モールデッドにのしかかられたときにはR2ボタン、銃のトリガーでもある攻撃ボタンを連打して、なんとか振り切って窮地を脱する事になった。

端的に言うと、イーサンは受身形、“迎撃系”のキャラクターと思えばいい。

 

少し横道にそれるけど、この迎撃系という表現についても言及したい。

『1』~『コードベロニカ』、『0』までの俯瞰視点の『バイオハザード』シリーズは後に続くアクションバイオとは違って、操作キャラから「進んで攻撃に出る」ことはない。何度も言うように、この時代、これらの作品は「弾数をいかに温存し、ボスやラスボスを撃破するか」が焦点となる。その残弾数を確保するためには、基本的に「無駄弾を撃たない」。そのために「敵との交戦を避け」「敵を極力かわすように動き」「逃げる」。という事を軸にして行動する他ない。敵が邪魔になっているときは「やむを得なく発泡」となる。これは攻撃に出ているというより、迎撃という表現が合うと思う。プレイヤーはラスボスまで侵攻しているのだから攻撃ではないかと思うかもしれないけど、それはゲームを進めるための進行であって、途中のゾンビに遭遇したときの対処は攻勢という表現は合わないだろう。

 

『4』以降はどうかというと、多少は残弾数を気にしなければいけないものの、ヘッドショットをすると敵がよろめいて、レオンが回し蹴りをしたり、足や腕を銃撃して、敵の動きを封じ、止める事ができる。戦況を変えるために、プレイヤーから能動的に攻勢に出られる。一変してプレイヤーは攻撃態勢に出られるようになったわけだ。

『7』でのイーサンは、多少ヘッドショットや、足に向けて銃撃して敵の態勢を崩すこともできるが、基本的に戦局を大きく変えるようなことはない。

 

さて、アクションを強化したとされる『ヴィレッジ』になって、イーサンはどのように変化したのか。防御アクションは前作から引き継がれ、今作から敵の攻撃を防御すると「押し返し」というアクションができるようになった。読んで字の如く、「押し返すだけ」だ。押し返したあとは距離が取れるので、そこですかさず銃撃を加えればいい。

 

だいたいこんな感じ

 

加えて先も書いたように、今作は銃の弾数が前作『7』と比べて多く用意されている。その為、敵に遭遇すると迎撃をすることになる。というより、敵はイーサンを追いかけてくるので、変に引き連れ回して、囲まれて手に負えなくなる状況になるくらいなら遭遇した逐次、敵の処理をしたほうが良い。

「なんだ、敵を攻撃できるんじゃん。何いってんだこいつ」と思うだろう?この銃撃が問題ありだ。ストーリーに限った話をすると「ヘッドショットをしてものけぞらない」「手や足に当てても何もアドバンテージがない」しまいには「銃撃を加えても、敵はものともしない」という有り様(厳密には一定のダメージを敵に加えると仰け反るものの、アクションバイオにあった部位ダメージを与えて仰け反らせるといった戦略的な色が薄い)。そのため、ゲームとしての銃撃に面白さがない。流石にヘッドショットにはそれなりのダメージが加算されるようになっているが、基本的に残弾数に困ることはないので、適当に胴を狙って撃てば撃退できる。もちろん、ゆとりを持った残弾数を確保したいなら、威力の高いヘッドショットを狙って効率よく倒すに越したことはない。

 

ところが、ヘッドショットを積極的に狙う意味がなくなるシステムがある。銃のカスタマイズだ。

 

 

『4』から実装された銃の威力や装弾数、連射力、装弾速度を向上させる銃のカスタマイズが復活したわけだけど、銃の威力を上げたら、「カスタマイズしない状態のヘッドショット一回分」に相当するダメージが胴を狙ってでもできる。

先に、銃のカスタマイズシステムに言及すると、シリーズに共通して言えることだけどよく出来ているシステムだと思う。銃の一発の威力を上げると敵を倒すのに必要な弾数は減り、装填速度を上げたら装弾数は少なくてもある程度対処ができたりとプレイヤーのゲームスキルと相談しながら銃をカスタマイズしてゲームクリアまでの攻略の道筋をプレイヤーが練ることができるのはこのゲーム唯一の戦略部分だと思う。

ちなみに、個人的なおすすめのカスタマイズ順を紹介するなら、優先して攻撃力を上げつつ、装弾数又は装弾速度を上げていくと良い。装弾数と装填速度は両方上げるに越したことはないけど、他の武器の強化や所持金の兼ね合いを考えたらどちらかを優先して上げたほうが良い。連射速度はある程度攻撃力が上がり、このゲームのエイムに慣れた中盤からで十分。

 

ぶっちゃけた話、銃の攻撃力を高めておけば態勢も崩せないヘッドショットを狙う意味はほぼ無くなる。銃の威力のゴリ押しでゲームは十分進められる。そうなるとただの的当てゲームになる。とは言っても、このゲームの敵クリーチャー、ライカン(人狼)は動きがたいへん素早く、その他のクリーチャーも癖があったりするので撃破にはかなり苦労を強いられるが、とは言っても的当てゲームには変わりない。敵との距離を適切に取りつつ、敵の動きに注意して銃撃をすれば普通にゲームはクリアできる。

これがアクション性の強いゲームだとはお世辞にも評価できない。万人に向けた敷居の低いガンアクションゲームを目指して作ったのなら納得が行くけど、クリア後のミニゲーム「マーセナリーズ」を遊ぶと、ゲーム性が大幅に変わる。ヘッドショットや足を撃つと敵が大きくのけぞる。従来のアクションバイオと同じ敵の反応をする。こっちのほうがガンアクションとして面白いのに何でこれを本編で採用しないんだ?

 

推測の話になるけど、本編で敵が銃撃を受けても仰け反りをさせないようにしたのは、大勢を相手にした時に、攻撃をものともせずに敵が枚挙して押し寄せるという恐怖を演出する意図があったのかもしれない。だけど、それは冒頭の下りでやってしまっているので、一発ネタ感が拭えない(冒頭は大量に押し寄せるクリーチャーから一定時間が訪れるまで逃げるというもの)。加えて、冒頭は弾も武器も揃っていないから、察しの良いプレイヤーなら銃撃でのけぞる云々の前に銃で攻撃をしても生産性がないから、脱出できそうな場所を探しつつ、敵を避けるという動きになる。

 

これ以後、ゲーム全体を通して、敵が枚挙して押し寄せるのは片手で数えられるくらいしかないので、余計にゲーム中は的当てゲームのような平凡なガンシューティングを強く感じる。少しでも本編のガンシューティングに戦略が持てるような作りだったらこんな感想は抱かなかった。

 

「ダメージを受ける恐怖」「ダメージが残り続ける恐怖」という一貫したテーマの『7』に対して、今作は数の暴力に加えてややスーパーアーマーな敵がゴリゴリに押し寄せてくるという「数の暴力による恐怖」を狙っていたのかもしれない。

 

 

これも推測の話だけど、「大勢の敵が銃で攻撃してものけぞることなく枚挙して押し寄せる」というのを採用したのは、イーサンが「防御系」のキャラクターで、ダメージを受ける恐怖をテーマにした『7』を妙に引きずってしまったのが原因じゃないかと思う。だから、「押し返す」という、中途半端感が否めないアクションになり、イーサンから攻撃の態勢になることをゲームの目指す方向性から逸れることとして、敵の耐性崩しを採用しなかったんじゃないだろうか。結果としてプレイヤー側にあまりにも不利なアクションシステムになっていることから簡単にゲームオーバー(You Are Dead)に陥るため「死に対する恐怖」が薄れてしまっている。

プレイヤーが少しでも敵クリーチャーに対する戦術を練られる銃撃システムだったらもっと面白くなったと思う。

 

ラスボスに至っては「回避アクションのない『モンスターハンター』」を遊んでいるような心地になったよ。

 

ゲームの方向性という話が出てきたんで、次に行こう。

 

 

■「恐怖のテーマパーク」を目指した結果、個々は魅力的にも関わらずテーマパークのようにとっちらかった感が否めない。

 

このゲームの大筋を大雑把に紹介すると

  1. イーサン、ミアの夫婦が産まれたばかりの娘と平和に暮らしていたところをクリスがぶち壊しに来る(余談だけど、クリスがあれだからリア充どもめ死ね!にしか見えんかった)。
  2. ミアはクリスによって殺され、イーサンとその娘は連行されるが、さらなる襲撃にあう。
  3. 襲撃された先に向かうと村があって、イーサンは謎のクリーチャーに襲われた挙げ句、巨大なネーチャンに拘束される。
  4. 巨大なネーチャンを倒したら、娘を救うため、村を脱出するためにはあと3人倒さないといけない。
  5. 4人を撃破した後、クリスの真意を知る上、殺したミアはラスボスが化けた偽物だったと判明。
  6. ラスボスを倒して、娘も回収。

 

という感じ。

こう見ると、物語として綺麗な流れをしているように見えるけど、実際ゲームをプレイすると中途半端さを所々で感じる。

最初のボス、ドミトレスク婦人は彼女が管理する巨大な西洋の城を脱出するというシリーズで見慣れた王道な作りになっている。ドミトレスク城は、シリーズおなじみのギミックだらけの構造になっており、ドアにあった鍵を探して脱出を図る。更に城内にはドミトレスクの娘が3人おり、ドミトレスクとともに、プレイヤー、イーサンを追跡する。3人の娘を各個撃破したら、最後はタダでさえデカイにもかかわらず更に巨大な化け物へと変貌する。

 

 

ぶっちゃけ、ドミトレスク城は従来のバイオシリーズをなぞったもので、文字だけで書くとあまり新鮮味を感じないが、女性が統べている城ということもあってか遊んでいてそれなりに面白かった(『コードベロニカ』がそれだったけど、それとは違う面白さがあった)。

 

その後に、他3人の“子どもたち”を倒すことになると判明し、それぞれの住まうエリアに移動すると、そのエリアごとに趣の違う脱出ゲームをすることになる。2人目のボス、ドナのステージは人形達がひしめき合う屋敷。イーサンは全ての装備を没収されたあと、屋敷内にあるギミックを解いていって、最後にドナが操っているお気に入りの人形、アンジーを倒して脱出。もうまんま映画『死霊館』。

 

3人目のボス、モローのエリアは謎解き要素が薄く、必要なキーアイテムを回収するために、広大な一本道を進んでいくだけ。道中はクリーチャー化したモローが特定のタイミングでイーサンに襲いかかり、これに触れるとその場で直ぐにゲームオーバーとなる。その為、周囲を観察しつつ進行しなければならない。その後は、モローと一対一の戦いをしてクリア。モロー戦は『2』のG戦と似ているといえば分かるかもしれない。映画でいうと、『ピノキオ』に出てくる化け物クジラ、モンストロや『ノートルダムの鐘』をホラーにした感じ。

 

4人目のボス、ハイゼンベルクは、自身が改造を施した機械人間の巣食う巨大な工場が舞台で、ここもギミックを解いて、脱出を図り、最後に待ち受けるハイゼンベルクを倒せばいいだけ。ハイゼンベルク戦は巨大なメカに乗り込んで戦うという少し異質なものとなっている。多方面から言われているが、映画『武器人間』そのまま。

 

その後はクリスに操作が変わるが、クリスは武器が充実しているので、襲いかかる敵を難なく倒しつつ、目的地まで向かえばクリスのチャートは終りとなる。このあとはもうラスボス戦だ。

 

とざっくりと紹介したが、この“4人の子どもたち”が今作のゲームの微妙さを引き出している。というのも、全部が全部似通った脱出劇だからというわけではなく、4人の固有ステージのテーマが既視感のある映画作品のオマージュとなっているため、傍から見ると、「詰め込みたい要素を詰め込んだ」という感じにしか見えない。

とあるメディアのインタビューによると、今作は「恐怖のテーマパーク」感を出すために4人のステージ、4人の子どもたちにバラバラのテーマを持たせたかったのだろうけど、このステージのボリュームが少なすぎて、「もうここで終わり?!」と拍子抜けしてしまう。テーマパークになぞって言うなら、随分と長い待ち時間を経てようやくアトラクションに乗ったと思ったら、ものの数分で終わってしまったのに近い(まぁ殆どのテーマパークはそうだけどね)。

 

 

彼ら4人のテーマが最後、一つに繋がって行くと言った仕掛けも物語中にはなく、せいぜい彼らのステージに配備されるクリーチャーに縁がある程度になっている。非常にもったいないのが、4人のキャラクターはどれも良い個性をしており、特にドミトレスクは従来のシリーズで言う、タイラント、ネメシスポジションの動きをしているのに、序盤で早々と退場してしまう。その為、「もう二度と追いかけてこない」という安心感がでて、緊張の糸が切れる。

その他3人のステージはホラーとしてはビジュアル頼りの弱いもので、ホラーゲームを遊んでいる感はない。その為、プレイしている側も、ただゲームをクリアするために通過しているようなもので、これもアトラクションに例えるなら、東京ディズニーランドに昔あった「シンデレラ城ミステリーツアー」に近いものを感じる(あれは映画『コルドロン』をモチーフにしている)。仮に従来のシリーズに似通っているとしても、ドミトレスクの追跡はその後のゲームでも残しといたほうが良かったんじゃないかとさえ思う。

 

さて、ここまで色々と4人のステージを紹介している時に、ちょくちょく映画の話を挟んだけど、『バイオハザード』シリーズは毎作、何かしらの映画ネタをぶっこんでくる。今作も例に漏れずそうなっているわけだけど、ここまで使い捨て感すらある雑多な具合を見ていると、さっきも書いたように「とりあえずやりたいものを入れるだけ入れてみました」という印象すらある。それを「恐怖のテーマパーク」を目指して作ったのであれば一応その片鱗は伺えるが、なら「エレクトリカル・パレード」みたいに皆が集合するとまではいかなくても、何かしら全てが絡み合うような作りを見せてほしかったというのが正直な感想。

魅力あるキャラクターも使い捨ててしまって、もったいなさすぎる。

 

これは余談だけど、初見プレイのオープニングからこのゲームは「ディズニー」をホラー調にアレンジした作品だと感じていた。ディズニー映画って『白雪姫』や『ピノキオ』を作っていた黎明期のオープニングは絵本、ないしは本をめくっていくというのがスタンダードだった(そう考えると序盤に出てきたババアは白雪姫のババア化した王妃そっくりじゃないか!)。

基本的にお母さんが大きな敵だというのは有名な話で、今作も“4人の子どもたち”はどこかお母さんに対する敵意がある。他にもドミトレスク婦人はマレフィセントで、その3人の娘はドミトレスク婦人に対する姿勢を見ていると、シンデレラの嫌な姉妹でこれらに吸血鬼要素を足した感じがある。

 

ドナの人形屋敷もさっきは『死霊館』なんて言ったけど、ディズニーランドの「イッツ・ア・スモールワールド」やをホラーにしたらあんな感じになる。モローのステージも全体的にどこか「カリブの海賊」や『ピノキオ』くさいし、モロー自体見た目は『ノートルダムの鐘』のせむし男に似ている(作中でも自分の見た目を気にしている)。

ゲーム終盤なんか、『眠れる森の美女』の王国が茨に覆われたシーンそっくりだしね。

 

 

そんな色々と既視感はありつつも面白くなる要素は用意できていたのに、いまいちまとまることがなかったストーリーがさらに雑に感じたのがクリスだと思う。

 

 

その前に言っておきたい事がある。『7』で変に実在するモデルを起用して、「誰だお前!」とお騒がせさせておいて、今作ではあっさりと従来のシリーズの顔に戻したのはシリーズの方向性としてどうなのさと思う(それでも顔にブレがありすぎるが)。

 

話を戻して、クリスは今作、プレイヤーに対して色々と疑惑を抱かせるような行動をとって、ゲーム終盤にはそれらの行動の意味を知ることになるのだけど、オチがなんとなく予想できすぎてなんとも思えなかったというのが正直なところ。

いやいや、『バイオハザード』に今更ストーリーの整合性なんかを求めているんだと思うかもしれないけど、今作はシリーズの中でも一番重要な設定が明らかになるのに、クリス周りのストーリーが雑に作られすぎて、もう少しなんとかならなかったのかと思う。これに拍車をかけたのが、今作の宣伝だと思う。

 

先に行っておくと、今作の宣伝PVとして作られた「バイオ村であそぼ」や吉幾三さんの「俺ら東京さ行くだ」の替え歌「俺らこんな村いやだLv.100」はかなりよく出来ていたし、「俺らこんな村いやだLv.100」に至っては、ゲームの目的や内容がハッキリと示されていたので、ここ近年のゲーム宣伝ではピカイチの手法だと思う。

 

 

 

問題があるのは「クリスが最初にミア(イーサンの奥さん)を蜂の巣にする」というのをゲーム発表時に公にしてしまったことだ。

正直言って、ゲーム中、最もインパクトのある問題シーンなのに、これを先に出して有名にさせすぎたことでゲームへの期待を上げてしまっている。去年のTGSの時点で知れ渡っており、あれから半年以上も経てばインパクトも薄まり、ある程度「クリスに何か考えがあるんだろう」と考察する時間を与えたらゲームをプレイしていても何も思わなくなってしまう。これは何が何でも最後まで隠すべきだったと思う。最初からライカンに襲われるイーサンやドミトレスク婦人の登場程度に抑えておけばゲームをプレイしている時にクリスについて色々疑惑を抱きながらドラマティックにゲームがプレイできたと思う。ストーリー自体も特筆して良いという訳でもなく、一定のクオリティに達しているのに、もったいなさすぎる。

 

■「レイドモード」じゃん!とは突っ込んだけど、結局楽しめた「マーセナリーズ」はもう少し遊びやすくしてよ

 

最後に「マーセナリーズ」についても紹介して簡単に評価すると、これは最初にも書いたとおり、制限時間内に敵クリーチャーを撃破してスコアを稼ぐというもの。敵を規定の短時間で倒し続けるとコンボとして計上され、ステージ中にいる全敵クリーチャーを、コンボを途切れさせずに倒すことができれば高いスコアを得ることができる。

 

 

過去の作品ではプレイキャラクターを選択したら、そのキャラクターの所持している武器と、キャラクターごとの能力でステージを突破するモードだったが、今作はイーサンしか操作キャラが居ないのと、ゲームシステムで武器のカスタマイズがあるため、プレイヤーが戦闘前に武器を取捨選択し、カスタマイズして臨むことになる。

ステージ中には青色の物体があり、これに触れるとイーサンにアビリティを付与することができる。このスキルは攻撃力を上げたり、移動スピードを上げたりするなどいろいろな種類があるのだけど、物体に触れた時にはランダムで3つが表示され、その中から一つを選ぶことになる。

 

といった内容が今作の「マーセナリーズ」なわけだが、察しのいいシリーズファンなら『リベレーションズ』シリーズにあった「レイドモード」を彷彿するかもしれない。現にゲーム中ではダメージ量も表示されるし、アビリティの下りは完全にそう。

 

出現アビリティが固定化されていたら面白かったかもしれない。むしろハードモードはランダムとかね。

 

この「レイドモード」と化した「マーセナリーズ」はさておき、今作の「マーセナリーズ」は説明からも分かるようにハイスコアを狙うには運によるところが非常に大きい上に、メチャクチャユーザビリティが低い。

まず前提として、「マーセナリーズ」は最悪プレイヤーが倒れることもあるし、そうでなくても何度か始めからリトライすることが多い「ミニゲーム」だ。これはシリーズ経験者でなくても、始めてこのゲームを触った人でも分かること。

先程、「最初にプレイヤーは武器の取捨選択とカスタマイズをする」と説明したけど、これをリトライの度にやらされたらどう思う?非常にまどろっこしすぎるし、面倒くさい。毎回何かしらのアクシデントなどでリトライした時に、このカスタマイズをさせられる。

 

 

一応、今作の「マーセナリーズ」は用意された全ステージで一定の評価を叩き出すと各飛沫がもらえる。これが欲しい人はマーセナリーズを何度もリトライして挑戦するわけだけど、その度に「最初にプレイヤーは武器の取捨選択とカスタマイズをする」としたらどうなる?

何度面倒くさいと思ったことか。

なぜ、カスタマイズが終わった後、最初のステージに臨むときの状態をステートセーブしていないのか甚だ疑問になる。本編でコンティニューポイントをしっかり残せているのであれば難しくないはず。なぜそれを用意できなかったのか僕は甚だ疑問ですよ。

ネタが切れたのか、4つのステージが終わったと思ったら今度は同じステージ攻勢の高難易度版が用意されたときには脱力した。これが普通にリトライ性を加味してある程度ユーザビリティの高いものだったらなんとも思わなかったかもしれない。まぁ最後までプレイしましたけどね。

 

頑張って獲得しましたよ・・・

 

最後にもう少しだけ愚痴る点を上げると、デフォルトの画面の明るさが暗すぎる。最近はゲームの開始前に明るさを調整することが多いけど、とにかくデフォルトが何も見えないっていうくらい暗い。開発側の狙っている明るさがこれだとしても、それで恐怖を煽っているのは違うと言いたい。見えづらい画面の、見えにくいところから襲われたところで、それは「元々見えないもの」であって恐怖に感じない。逆に視覚がハッキリしている場所で不意を突かれた時のほうがびっくりすることが大きいただ、見えづらいのは目にも悪いし、ゲームとしても面白く感じないので、もう少し、視覚的に見えやすい状態をデフォルトにして欲しい。

 

とまぁここまで長々とゲーム全体を振り返り、分析しつつ評価してきたけど、一周プレイして深くやりこまなければ面白いと感じるかもしれない。だけど突き詰めて遊べば遊ぶほど「もっとこうすれば面白くなったのにな」と思うもったいなさを感じた。今作でイーサンのストーリーは終わりらしいので、次回作はもう少し、方向性を固めた作品を期待したい。

 

せめてアップデートで「マーセナリーズ」のリトライはなんとかして欲しいところだ。

 

 

※追記 

 

これはアカンと思いました・・・

 

 

 

 

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