23歳で絞首刑に処されたチェコスロバキア最後の女性死刑囚を描いた『私、オルガ・ヘプナロヴァー』日本公開決定

 

【以下プレスリリース文掲載】

群衆の間へトラックで突っ込み 8 人が死亡——

銀行員の父と歯科医の母を持つ経済的にも恵まれたオルガ・ヘプナロヴァーは、1973 年 7 月 10 日、チェコの首都であるプラハの中心地で、路面電車を待つ群衆の間へトラックで突っ込む。この事故で 8 人が死亡、12 人が負傷。犯行前、22 歳のオルガは新聞社に犯行声明文を送った。自身の行為は、多くの人々から受けた虐待に対する復讐であり、社会に罰を与えたと示す。両親の無関心と虐待、社会からの疎外やいじめによって心に傷を負った少女は、自らを「性的障害者」と呼び、酒とタバコに溺れ、女たちと次々に肌を重ね、しかし苦悩と疎外感を抱えたままの精神状態はヤスリで削られていくかのように、一層、悪化していき…。複雑な形の「復讐」という名の「自殺」を決行したオルガは、逮捕後も全く反省の色を見せず、75 年 3 月 12 日にチェコスロバキア最後の女性死刑囚として絞首刑に処された。

 

ジョン・ ウォーター ズ 監督 が 2017 年 の 年間 ベスト 映画 に 選出!

2016 年ベルリン国際映画祭パノラマ部門のオープニング作品 を 飾 った 本作 は、 2010 年 に 刊行 さ れ た 原作 「 Já, OlgaHepnarová 」 を元に 、 チェコ映画界の新鋭トマーシュ・ヴァインレプとペトル・カズダ 両監督 が 映画化 。 オルガの人格や行動を擁護することも、伝記映画にありがちな感情的な演出もあえて排除し、ドキュメンタリー的 な リアリズムで長編デビュー を飾った。撮影監督は、イエジー・スコリモフスキ監督『エッセンシャル・キリング』( 10 )で名を馳せたポーランドの名手、 アダム・ スィコラ 。 チェコ、ポーランド、スロバキア、フランスの資金調達により 7 年もの歳月をかけて映像化 さ れ た 本作は、 権威ある世界三大映画祭のスタートを切る作品として上映されるや、高い評価とともにその悲劇的な物語に会場 を 静寂が支配 し たという。 20 17 年には カルト映画のレジェント であ る ジョン・ウォーターズ監督が年間ベスト映画の一作品として本作をピックアップ し 、世界的 な 注目を浴びた。大量殺人犯オルガという、社会から孤立する少女から大人への変貌を体当たりで演じ切ったのは『ゆれる人魚』( 15 )、『マチルダ 禁 断 の恋』( 17 )で注目されるポーランドの若手実力派女優ミハリナ・オルシャニスカ。 人種 や 性別、 性的 指向 を 理由に し た「 居場所 の な さ」「 人 と 違 う こ と 」「い じ め」 とい った 現在 も 変 わ ら ぬ 問題 の 絶望 に 直面 し、 その内面性と身体性を生かし
た演技が高く評価され、 本作 で は チェコ・アカデミー賞主演女優賞をはじめ多くの賞に輝いた。端正な容姿でオルガを一瞬で虜にするイトカ役には、チェコのマリカ・ソポスカー 。女友達のアレナ役には、『ゆれる人魚』でミハリ ナと姉妹役で共演したポーランドのマルタ・マズレク。ほかにも、我が子に嫌気が差して い る母親役にチェコの名優クララ・メリスコバ。そしてオルガの事件前に一緒に過ごすことになる、おしゃべりで酒好きな中年男ミラ役にはチェコ映画界の重鎮マルティン・ペシュラット。

 

オルガ・ ヘプナロヴァー と は生年月日:1951 年 6 月 30 日没年月日:1975 年 3 月 12 日( 2 3 歳)出生地:チェコスロバキア・プラハ1973年にプラハのトラム停留所に借り物のトラックを故意に突っ込ませ、 8 人を殺害したチェコの大量殺人者であり、チェコスロバキアで処刑された最後の女性。銀行員と歯科医の娘として裕福な家庭に生まれた。幼少期は特に目立つこともなかったが、次第に心理的な問題が生じ、人と接することができなくなる。アスペルガー症候群の症状であった可能性も指摘されている。 13 歳のとき、学校での出席日数の問題から精神科に入院した。その後、プラハで製本工の訓練を受け、チェブで製本工 として働くことになる。 1 年後、彼女は再びプラハに戻り、運転手 として働いた。彼女はコテージを購入し、オレシュコ村に 移動 する。のちにコテージを手放し、東ドイツの小型乗用車トラバントを購入。思春期には、自分の曖昧な性癖に悩まされ、彼女は自分のことを「性的廃人」と表現した。ミラディ・ホラコヴェ通りからストロスマイヤー広場を望む、手前にトラムの停留所がある。オルガは、社会への復讐を計画し始めた。彼女は、すべての人が自分に危害を加えようとしていると考えていた。父を筆頭に、父方の祖母、母方の祖母からもひどい体罰を受け た。路上で理由もなく殴られ、誰も助けてくれなかった。ピアノ教室 の帰り道、通りすがりの男の子にいきなり股間を蹴られたこともあった。歩き方が銅像のようだと言われ、ついたあだ名が「スフィンクス」。ほかにも、「ドラゴン」、「石の花」、「飢えた天使」、「眠れる処女」など。毎日が文字通り恐怖の連続でした。家でも、周りでも。無名の自殺者になることを拒んだ彼女の当初の計画では、満員電車を脱線させたり、公衆便所に爆発物を持ち込むことも考えていた。しかしそれを実行することは技術的に困難だったため、彼女は自動小銃を手に入れ、ヴァ ーツラフ広場で人々に発砲しようと考えた。実際に射撃クラブに参加 したこともあるが、結局、彼女はトラックで群衆の中に突っ込む計画を立てた。1973年 7 月 10 日、新聞社と雑誌社の編集者に、同じ内容の「マニフェスト」を送り、行動計画を立てた経緯と理由を説明した。午後 1 時 30 分、トラム停留所で待っていた約 30 人の集団に向かってアクセルを踏み込んだ。車が自然に停止してから、その場にいた目撃者は最初、彼女が技術的欠陥により車のコントロールを失ったと考え、彼女を助けようとした。しかし、オルガはすぐさま故意に暴走行為を行 ったことを認めた。その後の証言によると、最初にホームを通過する とき、ちょうどトラムが停車して多くの人が乗り込んでいたため、行動を数分遅らせることで被害者を少なくすることもできたという。合計 8名が死亡(その場で 3 名、同日に 3 名、後日 2 名増)。また、 6 名が重傷、 6 名が軽傷を負った。捜査や裁判を通じて、彼女は一貫して自分の行為を否定せず、堂々と自身の考えを主張した。彼女の唯一の後悔は、もっと多くの人を殺さなかったこと、そしてその中に両親が含まれていなかったことだ。彼女の弁護は、初期の統合失調症の疑いに基づいて 行われた。彼女は弁護への協力を拒否し、精神的健康についての疑い も否定し、公判前の手続きや法廷では、彼女自身がこのように罰することを選択させられたのは、無慈悲な社会のせいだと非難している。また、専門家の報告書では、彼女は精神障害に苦しんでおらず、自分の行動とその結果を十分に認識していたと結論づけた。裁判中、政治的な動機があるのではという憶測もあったが、そのような関連性は見られなかった。75年 3 月 12 日、オルガはプラハのパンクラーツ刑務所で絞首刑に処された。こうして彼女は、チェコスロバキア領内で処刑された最 後の女性となったのである。

作品データ

公式チャンネル 予告 U RL 限定 公開 設定 中( 1 月 9 日 11 時 よ り 解禁)
https://youtu.be/TtMbAMTspCk

STAFF
監督・脚本:
トマス・ヴァインレプ&ペトル・カズダ
チェコの映画学校を卒業後、トマス・ヴァインレブ(1982 年生まれ)とペトル・カズダ( 78 年生まれ)は、ピセックのインディペンデント映画大学、プラハの舞台劇術アカデミー( FAMU )映画学校のドキュメンタリー映画製作科と脚本科をそれぞれ卒業した。 短編映画や学生ドキュメンタリーを共同で制作し、数々の国際映画祭で上映されている。短編劇映画やドキュメンタリーの学生作品『 Antero 』( 03 )、『 Ec lipse 』( 06 )、『 Many men and many women, I and Me 』( 09 )などで共同監督し、多くの国際映画祭で上映された。現在、長編第 2 作目『 Nobody Likes Me 』のポストプロダクションを進めており、 2023 年の公開を予定している。

原作:
ロマン・ツィーレク
1937年、チェコ生まれ。父親が逮捕・処刑された少年時代を経て、 戦後からプラハに住んでいる。半世紀以上の文学活動の中で、ノンフィ クションや探偵小説を数多く発表している。いくつかの作品は主要な賞を受賞し、映画化もされている。 20 10 年に出版された『私、オルガ・ヘプナロヴァー』は、チェコ国内で大きな反響を呼んだ。「もしオルガの決断を覆すことができたとしたら、それは何だったのか」とチレクは考えたと言う。「もし彼女が身体だけでなく、魂も与えてくれるパートナーに出会えたなら。もし、彼女が本当に理解のある精神科医や心理学者の手に委ねられていたら。もし彼女が、最近の若者ができるような非常に根本的なステップを踏むことができたなら」。と。「もしも」が多すぎることに彼女のような人物を二度と出さないようお願いしたいとコメントしている。

撮影
アダム ・スィコラ
1960
年 5 月 3 日、ポーランド生まれ。撮影監督、映画監督、脚本家、写真家、画家。ウッチにある PWSFTViT の映画撮影学部を卒
業。ポーランドのテレビ文化番組「新時代の芸術と会話の庭」など、多くのテレビ劇場のプロデュースで数々の賞を受賞する。シレジ
ア大学クシシュトフ・キエシロフスキ映画学校講師、映画撮影・写真コースのディレクターとして活躍。レフ・マジェフスキ監督との共
作『 Wojaczek 』 ( 、『 Angelus 』 ( 、『 Cztery noce z Anną 』 (08) などでポーランド映画賞 イーグル撮影 賞を受賞。
2010 年、イエジー・スコリモフスキ監督『エッセンシャル・キリング』( 10 )でグディニャのポーランド長編映画祭撮影賞を受賞する。

CAST
ミハリナ・オルシャニスカ(オルガ役)
1992年 6 月 29 日 ポーランド・ワルシャワ生まれ。女優、歌手、作家。俳優の両親の間に生まれる。語学が堪能で、ポーランド語、ロシア語、英語を話す。本作を始めチェコ語やロシア語圏の映画にも出演している。ピアノやバイオリンの演奏を得意とし、ベリーダンスを踊れる。特にバイオリンは 4 歳の時から始め、音楽学校に在籍中 は誰もが彼女はプロになると思って いたという。ソリストとしてベルリンなどの交響楽団と共演している。 2009 年、処女作「アトランティスの星の子ども/ The child of the Stars ofAtlantis 」で作家としてデビュー。 2011 年には、二作目となる「魔法にかけられて/ Enchanted 」を出版する。同年ワルシャワの演劇アカデミーで学ぶ一方、フライデリク・ショパン音楽大学にも入学した。 2013 年からは、ソングライター、ミュージシャン、シンガーとしてだけでなく、女優として短編『 It s only a Comedy 』でデビューを 果たす。 2015 年には、ポーランドのホラーファンタジー映画『ゆれる人魚』で日本のスクリーンに登場、 2017 年には、帝政ロシアの絶世の美女にして花形バレリーナとして『マチルダ禁断の恋』 ( に主演、その小悪魔ぶりな存在感が評判となる。そのほか、『ヒトラーと戦った 22 日間』 ( 、『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』 など、今後さらなる注目の演技俳優である。

マリカ・ソポスカー(イトカ役)
1989年 11 月 12 日チェコ生まれ。プラハ音楽院で音楽と演劇を学ぶ。 2005 年、ズデニェク・ゼレンカ監督のおとぎ話 『 Richand Poor 』で映画デビュー。 2006 年には同監督のおとぎ話『 About Sleeping Beauty 』で姫を演じる。 2008 年にはテレビシリーズ「 Kriminálka Anděl 」に出演したほか、カンヌ映画祭フィルムスクール部門で受賞したズザナ・シュピドロヴァー監督の短編映画『 Bába 』に出演した。

クラーラ・メリーシコヴァー(母親役)
1971年 11 月 29 日チェコ生まれ。 1999 年、プラハの舞台芸術アカデミー演劇学部・人形劇学科卒業。 1997 年、 ミロスラフ・クロボットの指導のもと、今日のデ ユヴィツェ・シアター・アンサンブルの基礎となる劇場に参加する。学生時代に『 Divadlo Nazábradlí 』にゲスト出演し、 1996 年にデジヴィツェ劇場の舞台に立ち、以来、活動を続けている。初めてカメラの前に立ったのは、マルティン・ドレンスキー監督の映画で、長編デビューは『 MINULOST 』( 98 )の謎の少女の役だった。

マルチン・ペフラート(ミラ役)
1974年 10 月 30 日チェコ生まれ。機械工学科中等部を卒業したが、やがて俳優になることを決意する。プラハ の DAMU の人形劇学科に入学し、 2005 年に卒業 した。コメディ劇場を拠点とするプラハ室内劇場に参加し、 2012 年の解散まで在籍した。そこで、カフカの『裁判』の弁護士、『人間最後の瞬間』のチャプレン、『聴衆に眠る』のスポークスマン、『ワールドワーナー』の学長など特徴的な役で活躍する。 2009 年、『 Goebbels/Baarova 』のゲッペルス役でアルフレッド・ラドック賞の最優秀男優賞とタリア賞を受賞する。 2 年後、『 The Legend of St. 』のアンドレアス・カルタク役で再びアルフレッド・ラドック賞を受 賞した。演劇に加えて、テレビシリーズや映画に出演 、80以上の作品で活躍している。

 

マルタ・マズレク(アレナ役)
1990年 6 月 26 日ポーランド生まれ。 2012 年にラジオ・クラクフのためにイエジー・シュトゥールが演出したガブリエラ・ザポルスカの舞台『 Ich czworo (Four of them) 』で初主演を果たす。 2013 年、クラクフ国立演劇学校在学中に、クシシュトフ・グロビシュ演出の『妻と帽子を間違え た男』に出演、ウッジ演劇学校フェスティバルで「優れた舞台個性」としてグランプリを獲得する。同映画祭ではポーランド芸術家協会の賞も受賞した。 2014 年に演劇学 校を卒業した後、 2015 年の『ゆれる人魚』で、人魚の姉妹として本作のミハリーナ・オルシャンスカと共演した。

👑 PRIZE 👑
チェコ・アカデミー
チェコ・ライオン 賞 2017 主演女優賞、助演女優賞、最優秀ポスター賞受賞
ミンスク国際映画祭
2016 主演女優賞、監督賞受賞
ソフィア国際映画祭
2016 監督賞受賞
サン・イン・ア・ネット・アワード
スロバキア 2017 監督賞受賞
タルコフスキー映画祭ゼルカロ
2016 批評家賞受賞
ヴィルニュス
国際映画祭 2016 作品賞受賞
アートフィルム・フェスティバル
2016 最優秀女優賞
🖋 REVIEW 🖋
何よりも「女性大量殺人犯」というキーワードが効いている。チャールズ・マンソン、バッファロー・ビル、女性を殺害することを好む無数の映画的サイコパス、そしてアンネシュ・ベーリング・ブレイビクとノルウェーの休暇島での狂気の行為など。しかし、映画も歴史も、多くの大量殺人犯や連続殺人犯、女性の連続殺人犯を知らな かった。この女性は誰なのか、なぜ罪を犯すに至ったのか、どこで人生が狂い始めたのか。この映画はそれを教えてくれる。     Epd film

 

ミハリナ・オルシャニスカの演技、妖艶な存在感、神経質そうな目は、見るものを魅了し、彼女の強引さは、『少女ムシェット』、『イーダ』、『ワンダ』といったほかの女性映画のそれを思い起こさせるものだった。    Film de culte

 

生きる術を知らなかった……人間に滅ぼされた人間。   Premiere

 

みんなの憎しみの対象に選ばれたオルガ。彼女の存在は時限爆弾だ。    Variety

 

オルガは、怒りと虚無感に満ちたアウトサイダーであり、『タクシードライバー』のトラヴィス・ビクルのような精神異常行動をとる。大義のない凶悪犯。彼女は歩く絶望のようなものだった。    The Hollywood Reporter

 

彼女のオルガ・ヘプナロヴァーは、(殺人的な)社会主義リアリズムのソースで更新・修正した「狂ったナタリー・ポートマン」のようなものとして我々の心に永遠に留まり続けることだろう。    The Village Voice

 

完全に嫌われ者のキャラクターだが、カメラは彼女を見るのが好きだ。タバコを吸いながら、昔のフィルム・ノワールやフランスのヌーヴェルヴァーグに登場するファム・ファタールのようだ。    Le jdd

 

冬枯れの白黒で撮影され、時代のディテールに富んでいるこの作品は、高い評価を受けた『イーダ』を思い起こさせるが、キャラク ターとストーリーはこれ以上ないほど異なっている。『イーダ』は自分探しの旅をする女性を描いていたが、『私、オルガ・ヘプナロヴァー』は自己破滅への旅である。    Liberation

 

人間にとって最も大切な感情、すなわち「愛」が欠けていて、それが彼女を殺人的な怪物にしたのだと感じた。勝者も敗者もない悲劇的で悲しい物語。    The New York Times

 

フィルム・ノワールから受け継いだ図像で勝負しているのだ。レオンのナタリー・ポートマンを思わせる反乱的な髪型、『愛の嵐』のシャーロット・ランプリングを思わせる半開きのシ ャツなど、オルガの雰囲気は天使的でありながら毒々しくもある。    Le Canard Enchaine

作品タ イトル   私、 オルガ・ヘプナロヴァー

監督・脚本:トマ ーシュ・ヴァインレプ、ペトル・カズダ      原作:ロマン・ツィーレク

撮影:アダム・スィコラ    編集:ヴォイチェフ・フリッチ    美術:アレクサンドル・コザーク    衣装:アネタ・グルニャーコヴァー
出演者:ミハリナ・オルシャニスカ、マリカ・ソポスカー、クラーラ・メリーシコヴァー、マルチン・ペフラート、マルタ・マズレク

【201 6 年 チェコ・ポーランド・スロバキア・フランス 1 0 5 分 B&W/ 5.1ch 1 1.85 DCP 原題: Já, Olga Hepnarová 】
日本語字幕:上條葉月        字幕監修:ペトル・ ホリー         提供:クレプスキュール フィルム 、 シネマ・サクセション         配給:クレプスキュール フィルム
公式 HP http://olga.crepuscule films.com/

2023年4月29日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

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