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【映画レビュー】『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』はスクエニのリメイク商法に対する回答である!

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【文:畑史進】

荒れてますねぇ『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』
この映画について最近こちらのサイトで、「映画に向けて『ドラクエ』の魅力について書いて欲しい」というお話を頂いたので、その際に先行して試写で見た時から「ゲーマーとして今年のベスト1ムービーになったと思ったんですよ(その後公開まで紆余曲折があって評価は下落)。

もうご覧になった人なら知っているかと思うんだけど、これ表向きは『V 天空の花嫁』の映像化作品だと思ったらそうじゃなくて、『ドラゴンクエストV』をベースにした全く新しい映像作品なの。それでこの作品は滅茶苦茶荒れちゃってる(キャラデザに関しては置いておく)。
ラストもミルドラースが出るかと思ったら急な「夢オチ」が始まって、そこからなんだか知らないけどゲームファンに対して「大人になれ」と説教こいてくる。それで最後は「なんかいい感じのハッピーエンドの体に持っていった」という怒涛の展開に追いつかなくてもやもや感を抱いて多くの人はSNS上で「クソ映画」と烙印を押している現状なんですよ。

確かにこの作品はフローラとビアンカ、そして主人公の“リュカ”やパパスが出ていたらパッと『ドラクエV』というイメージが先行して、映画では2時間の間にスピーディーに話が流れて、最後は皆で見たエンディング画面がスクリーンに映し出されるんだろうと考えるのはよく分かる。

だけどそれは『ドラクエV』を遊べば良いだけの話で、映画でそれをやったとしても、平々凡々になぞるだけではただのCG化作品に留まってしまう。逆に細かくストーリーを描くために分作にしたところで、同じストーリーでもゲーム相手に高揚感で勝てるわけもないので、そもそも映画にする意味が無くなっちゃうと思う。

じゃあなんでこの映画を作ったんだという話になるのだけど、この映画は単に今まで新ハード(最新ゲーム機)が出る度に『FF』や『ドラクエ』など、過去の遺産を使いまわしてきたスクウェア・エニックスがリメイク商法について「理由付け」をするためにこの作品を作ったと思うのです。

ここで映画の流れを簡単におさらいすると、最初は『スター・ウォーズ』のOPテロップの様に天空界に関するストーリーがドット文字で紹介されてからSFC版の『ドラクエV』が映し出されて、幼少期のストーリーを簡単におさらい。ここで多くのプレイヤーは懐かしさを覚えて一気に作品にのめり込まれたんじゃないかと思う。
それからはCGムービーに切り替わって淡々とドラクエVのストーリーをなぞっていくのだけど、途中には映像上に“バグ”の様な妙なノイズが走るという伏線が敷かれる。

ビアンカとフローラの「究極の選択」、勇者覚醒、ゲマとの決着を経ていよいよミルドラースとの対峙に入るかと思いきや、急に「ゲームがストップする」。ここで“主人公”は普通の会社のサラリーマンで(未婚)、この『ドラクエV』は完全新作のVR版で、今作のミルドラースは何度も『ドラクエV』をリメイクした際に生じた異物(この辺ちょっと覚えていないので、間違えてたらすみません)と判明する。
映像中にはSFC版、PS2版を遊んでいる様子が映っていて、主人公は『ドラクエ』のリメイクが発売される度に何度も遊ぶようなコアなファンであることもわかる。
そこでミルドラースも主人公に対して「いい加減ゲームを止めて大人になれ」と親の言うような事を言って、『ドラクエV』そのものを破壊しようとする。当然『ドラクエ』を愛してやまない主人公は、そんなことは許さないし、反抗もするので、抗ウィルス剤として仕込まれていたスラリンと共にミルドラースを撃破して、ようやくゲームのエンディングを迎えるという流れだった。

このミルドラースからの下りは普通のゲームファン(『V』ファン)からすると「何言ってんだ?」になるし、なんで主人公を別の人間として作ったのか、急に自分達の体験の映像化を否定されたような気分がわいて理解が追いつかなくなるのだろう。
ただ、この映画のもとになった『ドラクエ』生みの親の堀井さんについて考えてみたら、わりかし納得行くのではないかと思う。
堀井さんは1980年代の後半にユーザーの動きを想定してオンラインゲームの構想を抱いていたり、DS版『ドラクエV』でもデボラを作った理由として、「ビアンカとフローラで別れている中であえて3人目を用意すると、ユーザーはどれくらいの割合で彼女を選ぶのかという実験をしてみたかった」と、元々ゲームに色々な仕掛けを凝らしてユーザーがどの様な反応するのかを楽しむユーザーライクな人で、今作も堀井さんが脚本ではないものの、監修としてこういう作品にOKを出しのではないかなと思っている。

また、この主人公が大の『ドラクエ』ファンで、何度もハードを変えて遊んでいるという点もよく考えたらスクウェア・エニックスが頻繁に同一タイトルのリメイク版を何度も出していないと起こり得ないことであって、これは『ドラクエ』に限らず『FF』や『メタルギアソリッド』『バイオハザード』などなど、他の全てのリメイクゲームに共通する事項でもあるのよ。
で、この映画で当のスクウェア・エニックスは何を言っているのかと言うと「いままで色んなリメイク版を出してきたけど、同じゲームを何度も遊んだり、買い直してまで愛してくれてありがとう!これからもよろしくね!」という事を言っているわけ。
つまりこの映画は「ゲームファンに対してゲームメーカーが映画作品を通して感謝の意を述べている」作品というわけなんです(僕自身リメイク商法というのは古いハードが壊れた際の代替品や、新しい世代が触れやすくするために必要なものだと思っている)。

ただし、フローラを常に選び続ける僕としては許せない点がある。主人公「今回はフローラにしよう!」と言っているのにフローラがモシャス(劇中では明言していない)で占いババに化けて、「心の深淵をさぐれ」と言わせてその結果、ビアンカが好きだから結婚すると仕向けるシーンは「ゲームに強制されている」感があって、ここは減点対象だと思っている。最初からビアンカ選んでフローラと共闘させればいいでしょと。

あと今作あえて『ドラクエV』をなぞらせなかったのは、女優・淡路恵子さんへのリスペクトがあったんじゃないかなと思う。
淡路恵子さんは芸能界きっての『ドラクエ』ファンでロケ先にハードごと持っていったり、「ラスボス前に一度プレイを止めて、次の作品が出るまで別のセーブデータで最初から遊び直す」という話はかなり有名だと思う。
今作あえて『ドラクエV』をなぞらせなかったのは、本編を買わせるという購買促進の面もあるのだろうけど、ミルドラースを前にして急にゲームを止めたということと、淡路恵子さんのエピソードを踏まえたらリスペクトをしていたんじゃないかと思うわけ。
この辺は山崎貴監督に聞いてみたい話だけど、残念ながらNGを某社から通達されたんで真相はわからないけどね。

小説版の逆輸入で荒れたり、鳥山明先生を名前を徹底的に排除する東宝の姿勢があったりとかなり作品以外の部分で作品の評価を蹴落とす状態になっておりますが、一度冷静になって「ゲーマーに向けた映画」としての視点で見るとかなりの良作だと思いますよ。




   

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