『攻殻機動隊 S.A.C. SOLID STATE SOCIETY 3D』公開記念 神山健治監督インタビュー

『東のエデン』の神山健治監督×プロダクション I.G 制作による大ヒットシリーズ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』。シリーズ三作目となる長編『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society』が、神山監督の陣頭指揮の下、3D 立体視作品となって、いよいよ3月26日から劇場公開!ということで、エンタジャムは、神山監督にインタビューを敢行!3D立体視をどうのように考えているのか、今後、どのような作品を作っていきたいか等々、お話しを伺ってきました!

—「攻殻機動隊 S.A.C. Solid State Society」(以後、「SSS」)を3D立体視化するにいたった経緯を教えてください。

神山監督「最初は、『アバター』ショックがあって、国内でも3Dをやっていこうよという流れだったんだと思います。その流れの中で「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」(以後、「S.A.C.」)を3Dで作れないかという話をいただいて。さすがに新作を作るとなると2年ぐらいかかるので、3Dとして世に出るのがだいぶ先になってしまいますよと。一旦その話はなくなったのかと思っていたんですけど今までに制作したものでいいので3Dにしたいと。
「SSS」を選んだ理由は、この作品は劇場用として観賞に耐えられるようなクオリティーで作っていたし、もともと劇場作品を意識していたんですが諸事情によってOVAのみの販売になっていました。スカパーでも放映しましたけれども攻殻TVシリーズのファンの人ですら見てない方もいるタイトルだったので、それであれば「SSS」を3Dにして劇場公開をするというのがいいんじゃないかなと。

—「SSS」をちゃんとしたかたちで公開して、ファンに再認識して欲しかったというのが主な理由だったということでしょうか。

神山監督「僕の中ではそれが一番の動機ですね。あと、TVシリーズは3D化しても、そこまでうまくいかないなと思ったのもあります。あとからやってるうちにわかってきたことでもあるんですけど、3D立体視向きの構図とそうじゃない構図っていうのが結構あるんですよ。アニメーションの大半の構図は3D立体視向きじゃないんです!」

—元々2Dとして完成したものは3D立体向きじゃないということが、作ってみて実感できたということでしょうか。

神山監督「アニメは、平面にいかに空間を見出すかという事でレイアウトをつくってるわけですけど、それがそもそも向いてないわけです。例えば実写でいうと、カメラに対して被写体が近すぎるとかね。あとはその意図的に見切れる形でなめる被写体が画面の手前にあるとか。そうすると飛び出しはするけど見切れる分興ざめするわけです。(画が)切れてるものが飛び出すわけですから。被写体が近すぎたりすると大体のものがスクリーン面に集まっちゃうわけです。今回の立体視では、飛び出すことより奥行きが一つの売りになってるわけですから、被写体が近いということは奥行きがでないってことですよね。メインのキャラクターが仮にスクリーン面に位置しているとしたら、キャラクターの後ろの背景にある程度”抜け”ができないと奥行き感がでてこないわけです。実写でも多分やらないと思いますが、あまり奥に抜けのある構図って取らないですよね。今までの映画は、そもそもの画が3Dの効果を得るには不向きな構図で大抵の作品が撮ってあると考えたほうが適切ですね。それを3D感をよくしようとすると凡庸な画になるんです。全部がフレームのなかに収まっていて、かつ若干俯瞰がいいんですね。」

—ちょっとカメラが上から眺めるように撮ると奥行きが分かるようなということでしょうか。

神山監督「そうです。それって実はすごく凡庸な絵で、箱庭みたいな絵になっちゃうんですよ。」

—既にリリースされている「SSS」と本作では、追加や修正カットはどれぐらいあるんですか?

神山監督「基本的には新作しているところはないんですが、撮影し直してるところはインターフェースが浮かんでる画。あとは電脳空間の3Dは作り直しています。
僕はあれこそ(インターフェースの映像)が一番うまくいくと思っていた部分で、普通、飛び出すといっても爆発した破片が飛んでくるとか、そのぐらいしかできないんです。飛び出したものが止まってる画というのは、普通はあり得ないし、多分作れないと思うんです。それを「SSS」を3D化することによって意図的に作れるなと。
映画館でいうと5列目の人の頭の上ぐらいまで出てるように見えると思いますよ。そういう画は作れるだろうっていうのが一応狙いとしてあったので、そこに関してはそう見えるよう撮り直しています。でも、他の場面に関しては視差をつけるために都合のいいように作り直さない方がいいだろうと思ったんです。最終的には。3Dの技術者の方にレクチャーを受けにロスの研究所に行って説明を受けたんですけど、その通りにやると、本来”映画”としてのケレン味のある画を撮りたいとか、もともと2Dなんだけども”空間”だったり”キャラクターの存在感”を出したいと思って撮ってる画とは、どうしても真逆の結果になっていって、演出家が意図した画と3Dで得られる効果との相乗効果がないと思ったんです。
たまたま、「攻殻」、特に僕のやった「S.A.C.」シリーズは主観映像だったり、電脳空間というのをリアル空間と意図的に分けて演出していたので、「S.A.C.」であればやる意味はあるだろうと。3D技術においては、懐疑的だし、演出意図を強調するためにうまく連動させて使うというのは、なかなか難しいと思うんですけど、SACシリーズにおいては非常に有効な技術であろうという思惑があって引き受けました。やってみたらその通りだった部分が多くて。「攻殻」というタイトル、特に「S.A.C.」を映像化するにあたってはたぶん有効ですね。その答えは見つかった気がします。」

—3D作品を作ってみて、こんな作品を撮ってみたいといったものはありますか?

神山監督「そうですね。自分で撮りたい作品ということであれば、「攻殻」以外で「よーしこれは3Dでやるべきだ」っていうようなことが思い浮かんだかというと正直言ってないですね。もし可能性があるとしたら、他のインタビューでもよく喋ってるんですけど、「あたしンち」(『劇場版3D あたしンち 情熱のちょ?超能力♪ 母大暴走!』)だと思うんですけど、むしろああいう使い方をどんどんしたほうがいろいろ見つかると思うんです。今回の『SSS 3D』や『アバター』みたいなものが3Dの正しい使い方のように言われているんだけど、それもあるけどそれだけじゃない。たとえばギャグとして使うとか、そういう方法をつかっていかないと。もとも
と飛び出すこと自体ウソなんですよ。映画ってそもそも本当のものを映してるわけですから。それが平面だろうと誰もウソだとは思っていないわけです。でも飛び出すとウソなんですよ。レンズでいえばそんなレンズはないとかね。望遠の絵で飛び出させるとウソじゃないですか。本来望遠で撮ると奥行きがどんどん潰れていってるわけですよね。そこに視差がついてくると気持ち悪いし箱庭みたいになっていく。でスクリーンに映したい画をすべて収めていくと、これは映画としては非常に凡庸な絵になってしまう。多分、そういうことを念頭にいれていくと、なんか実写の3D化はせっかく本当のことを撮っているのに、ウソを強調しちゃってる気がしてならないんですよ僕は。その点、アニメはもともとウソなので、レンズのウソなんてのは最初からある訳ですよ。手前と奥がぼやけていて、捉えたいキャラだけにピントが来てるなんて言うのはアニメにはよくある絵なんですけど、なかなか実写ではそんな画ってないわけですよね。でも、今回やってみたら、そういう画に対して立体感つけても違和感がなかったんですよ。最初は被写体がちょっと近いからあんまり視差がつかないだろうとか言われてたカットも、それはそれでありなんですよ。なので、あまり3D化を考えない方がいいなと。今まで通りのことをやっていて、その中に適度な視差をつけたほうが有効だっていうカットがあれば積極的に取り入れていくべきだと思います。そのほうが3D映画というものが一般的に生き延びる可能性が高いんじゃないのかな。あんまり技術を”売り”にしてると、そのことだけが突出しちゃうから、そのへんに飽きたときにみんなが3D映画は必要ないものと思ってしまう可能性がある。だったら普通に撮っておいて効果的なカットがあったらやればいいじゃないかと思うんですよ。」

—「S.A.C」シリーズでは、電脳空間を主観で撮る演出は最初から多用していたんでしょうか?

神山監督「していました。第一話からすでにやっています。これも今だから言える話なんだけど、士郎さんのマンガだと空中に無造作に浮かんでいるじゃないですか。要するに全部が電脳、ネットにつながった状態でいけば、僕やあなたの周りに、そういうものが浮かんでますよと。意味はわかるけど、例えば、今、ネットからオフっている人からすれば、(それは)見えないわけじゃないですか。その差異をつけるために第一話からあの演出はやっていました。でも、その演出にNGがきたんです。要するに主観映像でしか映らない映像は変じゃないかと言われたんです。でも、僕は街中にそういうものがプカプカ浮いていて、それをそうじゃない人(同じネットに繋がっていない人)が見えてるってのは、それはハッキングできてるってことになるじゃないかなと思えて、それは変でしょうと。勿論、それはハッキングしてもいいよと、例えばツイッターみたいに、誰でも見ていいよというインターフェースと、あなたと私だけの間だけで他の人には見られては困りますよというインターフェースとの”差”をどうやって表現するかということを意識して考え抜いたうえで第一話で使ってるんです。
将来は空中にタグが浮かびまくっているという状態が裸眼でも見える時代がくるかもしれないけど、今それを表現するには適切じゃないという僕の判断でそうしたんです。で、結果的にそれが有効的になったんですけど。ようやく今、士郎さんがこれが表現したかったものですって言ってくれてたけど、当時は反対されたわけです。」

—-AR技術等が、ようやく一般の方でも目に触れるようになって、初めて電脳空間を実感として想像できるようになったと。

神山監督「だと思います。だからそこがようやく追いついてきたんだなというのと同時に、あえてあの時代にローテクにしておいたことによって体感的にわかるようになったというのは皮肉ですけどね。」

—『SSS 3D』の話から外れますが、監督は「S.A.C.」シリーズのようなSF的な作品以外に、「東のエデン」という現代劇、他にも「精霊の守り人」のようなファンタジー系も撮られていますが、今後はどのような路線で作品を作っていきたいというものはありますか?

神山監督「いちばん自分の興味をかきたてられるのは「東のエデン」のようにベーシックな設定は現代にしておいて、いかに今存在しないテクノロジーをいれていくかですね。
気になる問題を(作品に)放り込んでいって、出来れば解決したいなと思うんです。「ドラえもん」の道具と一緒で、こんなのがあったらいいな的な発想なんです。現段階でこういう問題があって、それがなかなか解決しないけど、こうしたら解決するかもねっていう発想なんです。
ただ現実をベースにした舞台設定で物語を作っていく場合は、それはそれで大変なんです(笑)。「攻殻」のときは遥か未来のSF設定を自分たちのリアルにぐっと引き寄せることによって、今の解決できない問題を未来の技術によって、こういう解決方法があるよねとか、見つけていくことが出来た。でも現実をベースにすると、ある程度本当の解決策を見つけていかなくちゃいけないから脚本は10倍ツライ(笑) スタッフもしんどいんだけど、それでもそういうアプローチのほうが作り手としての醍醐味はある。絵空事かもしれないSF設定を、例えば科学考証とか先読みして後から現実入れるって形よりも、ベースは現実にしておいたほうがおそらく今のお客さんは入り込みやすいだろうしね。SFや「精霊の守り人」をやったときに感じたんですけど、今の若いお客さんにとって、SFやファンタジーって基礎教養がなくては入っていけないジャンルなんですね。現実をベースにしてるドラマのほうが、僕らの子供のころは逆で、現実的な知識がないとわからないからドラマは見たくないけどファンタジーだったりSFだったら基礎教養なくても見れたから好きだった。でも今は、SFやファンタジーのほうがその世界観のルールを自分で一回飲み込んだ上でないと付き合えないんですよ。
どっぷりその世界が好きな人はその世界が好きだけど、入ったことがない人はそこに入るのにハードルがあるんですね。実写だとまた違うのかもしれないけどね。

—アニメに関してはそれが顕著に現れていると。

神山監督「そんな気がします。一見さんお断りな作品が増えちゃったと思います。”お約束”がもう馴染んでる人にとっては問題はないんですけど、なかなか入りにくくなってきたんじゃないですか。とくにオリジナルで新しいタイトルで認識をしてもら
ったうえで、さらにそこから付き合うっていうのがなかなかいま難しくなったんだと思います。」

—「S.A.C.」1stはアクション重視だったと思うんですが、「東のエデン」や「精霊の守り人」と、作品を経るごとに、いわゆるエンターテイメント性より”問題提起”がより前面に出てきているような気がするんですがいかがでしょうか?

神山監督「僕にとってはアクションと同等に問題提起の部分もエンターテイメントなんです。例えば、「攻殻」の9話で円卓を囲んで2chネラーみたいな人達がチャットしながら喋る回があるんですが、あのチャットルームで繰り広がられたような、自分の知らない情報を誰かが説明してくれるってことは日常でもエンターテイメントなんです。誰と誰が付き合っているということを知らない人からすれば、知ってる人からその顛末を聞かされることはエンターテイメントじゃないですか。

—それで現実世界の問題が作品が反映されてくるのですか?

神山監督「そうですね。ぼくはそういう考え方です。」

—「SSS」や「東のエデン」でもそうなんですが、答えの出ない終わり方が多いような気がしますが、これはどのような意図なのですか?

神山監督「解決したいと思ってはいる。絶えず。それは「SSS」の時から。3D版は問題を解決してはならないというコピーに意図的にしたんだけど、実は、あの問題を解決しないことで解決してるなと。要するに犯罪という手法で、とりあえず損なわれる命と死んでいく人達の損得は解決した。実際にはSolid Stateシステムなんてものはないから、孤独に死んでいく人も増えていっているし、虐待で亡くなるお子さんもいらっしゃる。実際には解決できない。でも、ああいうものがあったら解決できるかもねとか。もちろんああいったシステムは発明されないだろうから、じゃあそれに代わる方法はあるのかと。そもそも解決しようと誰か思っているのかと。そういうことに意識がいけばいいなと。あれはSFから逆に現実のほうに理想をハメこんで、強引に解決したスタイルだと僕は思っていますけど、一見、解決してないので、でもそれは解決しないことで救われる人もいるという一つの答えなんですね。
「東のエデン」なんかは逆で、現実問題を先に提示しておいて、後からそこに何かを発明していって、それを解決することが本当にできるんだろうかというアプローチだから、もちろん解決しないんです。現実で解決していない問題をアニメのなかだけで解決したところで、何の喜びもないんです。例えば、実際にあった映画だけど、映画のなかでがんを撲滅することが叶う、あるファクターが見つかったと。で、空喜びするんだけど、現実にはそんなことはないから、そのファクターはある要因によって損なわれてしまったと。これは二重の損失で、空喜びな上に、それが手に入らないというヒドイ映画なんです。確かにそうなってしまってはいけないなとは思うんです。ただ、映画のなかだけで勝手に癌が治った治ったと言って、なんの意味があるんだというのが僕の考えです。
だとすれば、それを解決するために立ち上がってくれればいいわけで。「S.A.C.」の1stシーズンは問題を解決できたような気もして、みんな喜んでくれたんですけど。それを実践してくれたかといえば誰も実践してくれてないんですよ。要するにこれから情報化社会がきて、その中に埋没していってますます個人が全体のなかに取り込まれていく時代がくるだろうと。その中で生き延びるために必要なのは好奇心であると綺麗に終わったんだけど。それはそうなんだけど、好奇心をさらに働かせて今の社会を乗り切っていっているひとが何人いるかってことですよ。」

—それを実践するのは難しいですよね。

神山監督「1stシーズンが終わって、少なくとも、身の回りにいるスタッフにはそのメッセージは届いたと思ったんです。情報は伝播していくしその速度はあがっていくし、そこで獲得していくものはどんどん増えていくだろうと。それを精査するためには好奇心こそが不可欠だ。という結論を出して皆がそれを実践してくれることを夢見た。
やっぱり綺麗にまとまって終わったほうがいいに決まってるんですよ。所詮それは映画だから。だけど必ずしも問題が解決することが万人にとって幸せではないんじゃないかなと思うわけです。解決しないが故にずっと考えてくれる映画もあるしね。そこはバランスと、どんなに強引に綺麗に落とそうとしても落ちない映画ってあるんですよ。「東のエデン」なんてまさにそうで、綺麗に王子様にさらわれて、あの娘はホクホクで、なんとなく社会も明るくなりましたと、終わりたいなとは思ってはいるんです。
おそらくこの閉塞した社会で、若者たちがオッサン達をへこませて明るい社会を提示してくれると信じた人もいると思うんですよ。それでぼくも可能ならそうしてあげたいと思ったんです。でも、残念ながらウソを書いても説得力がないわけですよ。映画が、「神山、それは違うぞ」と。「仮に口当たりのいいウソをついたとしても得られるものはないぞ」と、やっぱり映画が言ってくるんですね。不思議と。」

—映画が囁いてくるわけですね。

神山監督「いままで積み上げてきた設定とかキャラクターだったりがね。「SSS」に話を戻せば、もっと綺麗に素子を公安9課に戻して、一旦、この作品の原作者である士郎さんに返そうと僕なりに思って作ったけど、素子が戻るとどうしてもなかなか言わないわけですよ。物語も四分の三まできて、ようやく帰ってきたにも関わらず、荒巻課長との再会で、「再会を喜ぶ言葉が見つからないわ」ですからね(笑) でもこれはキャラクターがそう言うんですよ。これはぼくが脚本書いたというよりは、「嬉しいよ課長」というセリフを彼女は言わないんですよ、どうしても。最後のバトーとの会話の中でも、「それは9課に戻るってことか」と、バトーはクールに言ってるけど、心の中では尻尾がバタバタしてるわけですよ「素子戻って来~い」と(笑) でも、素子からすれば、今回は騙しちゃったしね、戻ると言っとくかと。でも心の中から「公安9課ってサイコー!」というセリフは、彼女はやっぱり言わないですよね。自分で書いてるにも関わらずそうなんですよね。」

—それは違うと、書いている自分自身がそう感じてしまうんですね。

神山監督「思うしね。やっぱりあれだけ付き合ってくると、キャラクターがそこにいてね。そうなるといいよねとは思いながら、そうは行動しないんですね不思議なもので。
うまくいくに越したことはないけど、でもそこまでいったキャラクターだからこそ、ある程度リアリティーがあったり、とか
説得力があったりすると思うんですね。そこはキャラクターがそこで帰ると言わないなら、帰ると言わない映画を作るということが正しいことなんだと思いますけど、なかなか難しいです。ただ、それとお客さんの望んでることが合致してればそれ以上に幸せな映画はないと思います。「東のエデン」なんかは、結果的に口当たりのいい言葉で終ってあげられなかったなと思うけどでも、でも、メッセージが届いた人には届いたと思うし。そこはなかなか難しいですよね。ハッピーエンドだけを想定しておいてそこをめがけて書いていって、そこに落ちるってのがなんとなくね。パーがいくつなのか教えられないままホールインワンを狙わなきゃいけないゴルフに挑戦してるような感じですね。」

—では最後に、本作や、これから神山監督が作るであろう作品を見る方に、どのように作品を観てもらえたら嬉しいのかというものがありましたらお願いします。

神山監督「現実をよくしていくのも悪くしていくのも本人次第だと思うんですよ。なので。なにかこう、一人ひとりが考え方が違うとは思うけれども、自分にとっての答えっていうのを僕の作品を見た人が導き出してくれるといいなと思います。」

—ありがとうございました!

『攻殻機動隊 S.A.C. SOLID STATE SOCIETY 3D』
2011年3月26日 新宿バルト9ほか全国公開

【STORY】
西暦2034年。「梵」の刺青を入れた男たちが相次いで不審な自殺を遂げる事件が発生。かつてのリーダーだった草薙の後任となったトグサ率いる公安9課は自殺した13人が元シアク共和国最高指導者カ・ルマ将軍に忠誠を誓う特殊工作員で、テロを計画していたことを突き止める。その後、工作員の一人で国外逃亡を図ったカ・ゲル大佐を追い詰めるも「傀儡廻が来る!」という言葉を残し、彼もまた自殺するのだった。
その様子を監視する一人の女がいた。──かつて公安9課のリーダーであった草薙素子。彼女は数種類のリモート義体をまるで傀儡のように操り、事件の裏側で密かに暗躍をつづけていたのだった…。

STAFF 原作:士郎正宗/監督:神山健治/脚本:神山健治 菅正太郎/音楽:菅野よう子/キャラクターデザイン:後藤隆幸 西尾鉄也
メカニカルデザイン:寺岡賢司、常木志伸/総作画監督:後藤隆幸/美術監督:竹田悠介/撮影監督:田中宏侍/3D監督:遠藤誠 塚本倫基/色彩設定:片山由美子
制作:Production I.G/配給:Production I.G ティ・ジョイ/宣伝協力:プレシディオ ヨアケ/制作:攻殻機動隊製作委員会
CAST:草薙素子:田中敦子/バトー:大塚明夫/トグサ:山寺宏一   
(C) 2011 士郎正宗・Production I.G / 講談社・攻殻機動隊製作委員会

公式サイト:www.ph9.jp




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